少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。
2025.04.28
原因があり、結果がある、分かりやすい。
原因が3個、結果に濃淡ある影響を及ぼしている、分かりにくくなる。
原因が10個以上、最初の原因が中間の結果を生んだのち他の原因と連鎖的に反応しているとなれば、精査することが大変になる。
長々しい文章にしてみたのは、結果に対する原因の特定って因子が増えるほど難しいよなあと思ったからです。
それでも多くの因子を組み合わせてモデルにする多変量解析、たくさんの因子をあれこれ操作することでブレ幅をシミュレーションする感度分析ほか。
これら応用すべくビジネスの現場に目をむけると、やはり含めるべき因子が多い、多すぎる。
たとえ因子が多くても見晴らしよくできないのかなと多変量解析をこまかく調べていたら、生成AIのロジックと相性がいいんじゃないかという応用事例をみつけました。
ということで、まずは多変量解析の概要から。
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多変量解析
https://w.wiki/Dvsp
多変量解析(たへんりょうかいせき、英語: multivariate analysis)は、多変量のデータの特徴を要約する方法のことである。データの要約により、データの特徴を単純化し、分析しやすくする。
重回帰分析、主成分分析、独立成分分析、因子分析、判別分析、数量化理論 (I類、II類、III類、IV類)、クラスター分析、コンジョイント分析、多次元尺度構成法 (MDS)。
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続いて現実への応用事例として、人文地理学の手法をみてみると
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人文地理学では、地域分析において多変量解析が重要な手法となる。
1950年代後半以降、計量地理学の理論を構築していくうえで多変量解析が利用されていった。
人文地理学では、重回帰分析による地域間の連結性の把握、主成分分析による都市の内部構造の分析、因子分析・クラスター分析による因子生態分析や等質地域・機能地域の地域区分などが行われる。
地域分析で多変量解析を行う場合は、まず地理行列を作成する。
等質地域の設定を行う場合は属性行列、機能地域の設定を行う場合は相互作用行列を作成し、多変量解析を行うことになる。
【補足】地理行列 https://w.wiki/DvvB
Berry (1964)では、行に属性、列に地域をとり、各行と各列の交点(行列の成分)に当該地域の地理的事象が表示される。これにより、全地域の全属性を行列として表示することができる。
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地理行列、すなわち地理における「属性」と「地域」を行列にして計算の下ごしらえをする。
この着想に生成AIのベースとなる言語行列と近しいものを感じて、もし「職種」や「活動」という成分でビジネス行列を構成できるなら、AIを経由して多変量解析で有益な知見がえられるかもというアイデアでした。
そんな思考実験の先にみえる未来の景観(ランドスケープ)、それはどんなものになるのでしょうか?
そうですね、まず考えられるのは自社、他社かまわずグローバルでリアルタイムに集められる膨大で匿名なビジネス行列。
人が取り扱えないほど遠大なビジネス行列を使った演算が経済的な盤上において自社の立ち位置を決め、行動を選択させる。
残念ながらそのロジックはすぐに伝播し、模倣され、あれよという間に誰もが使えるものになる。
となれば、同大小異なロジックに盲信することで似たような企業として収斂することが最大のリスクとなる。
詰まるところ、大量に演算しようがしまいが現時点と同じような戦略の選定になるのかもしれませんし、反対にごく微視的な差分を見つけて決定的な卓越性を発揮するかもしれませんね。
2025.04.21
たまにはと思って、今回は仕事術のようなものを書いてみます。
うーん、仕事術、ベースにあるとすれば「面倒だなあ」という感覚です。
「この作業、1年後も同じだったら面倒だなあ」
「誰よりがんばって仕事するとか、できないしなあ」
「将来のために、今を犠牲にするとか考えられないし」
こう書くとなんだかやる気のない人という烙印を押されそうです。
ですが、違う角度からみればやる気はあるんです。
「この作業とあの作業は似てるから土台を共通化すると楽しいかも」
「予想した通りにできてるってことは、ヨミの精度が高くなったのかな」
「今日楽しくて、明日も明後日も楽しくできる方法はないもんかね」
つまり、自分にとって意味ある時間にするにはどうしたらいいか?と熱心に考えている。
手間のかかる仕事、やりたくはない仕事、単純でくりかえす仕事。
そこに“意味を見出せる力”を養っていきたい。
コミュニケーション力、ファシリテーション力、マネジメント力。
こう書いた途端、やる気がなくなって面倒に感じます。
だから、自分なりに書き換えると
ムダに盛り上げる力、どうしようもない小噺力、横目でちらり力。
ビジネス的に“意義”あるものから、個人的に“意味”あるものに転写する。
DNA鎖からたんぱく質へと翻訳されるように、心にそんな転写酵素があるなら仕事をうまくやれるんじゃないかと思っています。
2025.04.07
今回は4月っぽいテーマとして「生産性」を少し考えてみます。
気軽に使う用語ではありますが、まずは定義から。
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生産性
https://w.wiki/7cYh
経済学における生産性(せいさんせい、英: Productivity)は、経済政策に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度である。
次の式で定義される。
生産性 = 産出量 / 投入量
すなわち、より少ない投入量(インプット)からより多い産出量(アウトプット)が得られるほど、より生産性が高いという関係にある。
略
生産性は、企業や国の生産実績を左右する重要な要素である。
国の生産性を向上させることは、生活水準の向上につながる。それは実質所得の増加は、人々が商品やサービスといった財を購入したり、余暇を楽しんだり、住宅や教育を改善したり、社会的・環境的プログラムに貢献したりする能力を向上させるからである。
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大量にモノやサービスを作っていく。
これだけで生産性が高いかというと、必ずしもそうではない気がします。
買い手が望まなければモノなら過剰に在庫が積み上がり、サービスだと見えないサンクコスト(回収できない費用)が沈殿していくからです。
それらを加味すると、やや逸脱した意味での高い生産性とは「できるだけ短い期間において、少ない資源でより多くの生産物が作られ、それらが低い摩擦係数で流通して最大限に消費される」となってきます。
ふうむ、一見これは良さそうな定義ですが、問題はどうやって実現するか?
いろいろ考えをめぐらせると大変ですから、まずは1点突破だけ。
おそらく“少ない資源で多くの生産物を作るところ”と“低い摩擦係数で流通して最大限に消費されるところ”のブリッジ(橋渡し)が一番弱いだろうと推定し、そこを補強することに最初の力を注ぐ。
それはなぜか?
物理的にみて作る人たちは一緒の場所で頻繁に交流しているのに対し、流通のために販売する人たちはその特性から散り散りになっているだろうから伝達経路として相対的に接触頻度が低く、ボラティリティ(ばらつき)が高いから。
がゆえに、作り手と売り手のブリッジのために意識的に手をいれつづけるか、またはあらかじめシステム的に結合しておくかとカード(手札)を考える。
これが一手目(リード)なんですが、やってみないとトリック(結果)は分からないものですね。
2025.04.02
この4月1日からMogicサイトのロゴアニメーションが変わりました。
トップページにアクセスして、しばらくすると動きますのでご覧ください。
実はコレ、毎年ブランディングチームがテーマを決めて作ってくれてます。
今回は数あるMogicらしさの中から「バランス感覚」を選んだとのこと。
意外に思われるかもしれませんが、いろんなバランスがあるんですね。
超長期プロジェクトを動かしながら、ごく短期のゲリラ戦に挑む。
真面目に仕事の話をしてたら、不意にスイーツ争奪戦をする。
パソコンやタブレット、タコのぬいぐるみや植物の育成。
社員、パート、インターン関係なく全員が活躍する。
フレックスで残業なく、プライベートを楽しむ。
ノルマや目標ないけど、同じ方向を向いてる。
チームワークしたり、個人技を磨いたり。
調子悪い人がいれば、いい人もいる。
いい日があれば、悪い日もある。
グラグラ、ブラブラだろうし
サクサク、スルスルで
日々、ゆれうごく。
おっとっとっと。
油断は禁物で。
気を抜いたらダメか。
慣れることなく、初心を忘れるべからず。
そういう気持ちこそ、バランスの本質なんじゃないでしょうか。
2025.03.25
超長期プロジェクトばかりやっていると飽きてしまうので、思いついたらゲリラ戦を仕掛けています。
「さあさあ、みなさん、春といえば突貫工事ですよ!」とかいう、どうしようもない切り出し方。
半日でプレスリリースを出し、1週間でITプロダクトを仕上げ、1ヶ月でオリジナル・ノベルティを作り、マフィンとハンドドリップを求めて近くのカフェにたむろし、昔だったら前の公園で蚊に刺されながら野球して、公園の池で海賊船のラジコンを幽霊船にしそうだったな。
数人で徒党を組んでワアワアとやっているのですが、いつも終わってから疑問に思うことあり。
「あれ、最後はなんでこのカタチになったんだろう?」と。
誰か一人がゴリゴリと進めたわけじゃないのに、誰かが始めれば何かのカタチにまとまっていく不可思議さ。
分野は違うのですが、似たような現象が著名な音楽プロデューサーのエピソードにありました、僭越ながら。
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リック・ルービンの創作術
https://books.jeane.jp/books/thecreativeact/
アート作品は自然に、ひとりでに出来上がってしまうものだ。
ベースになるアイデアがどこから生まれて、個々の要素がどのようにつながってこんな傑作ができたのか不思議に思うだろう。
しかし、それがなぜ、どのようにして起きるのかは誰にもわからない。
作った本人でさえわからないということも多い。
略
私たちはわからないことだらけのミステリアスな世界に生きてる。
そして、いつもそれを憶測で説明している。
わけがわからない状態を抜け出すためには、人間の経験とは複雑なものであるという事実を受け入れることだ。
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傑作かどうかは置いといて、誰かの言葉が感性にひっかかり、そこに少しずつ持ち寄ったアイデアが重なっていく心地よさ。
計画してないし、予想してないし、どこに着地するか分からない。
残り時間は少なく、方向がさだまらず、スタートすら危ぶまれる。
ヒリヒリした状況だから、とんでもないアイデアがこぼれてくる。
そのフレーズを何度か口ずさめば、ナチュラルに組みあがっていく。
日常生活、いつものビジネスの現場だとなかなか味わえない開放感。
純粋経験、みんながその場を楽しんでいる感じ。
言いあらわせない、このくれなずむ感情。
だったらとまた引用に頼って、最後のまとめさながらに。
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子供のころ、自分の感情を理解してそれを最優先させろと教えられた人はそれほど多くないだろう。
たいていの場合、教育システムが私たちに要求するのは自分の感情を気にすることではなく、従順になること。
私たちの自然な独立心は手なづけられて、自由な発想は抑制される。
私たちにはさまざまなルールや期待が押しつけられるが、自分や自分の可能性を追求することはその中に含まれていない。
略
私たちの目的は、私たちを取り巻く世界に対する理解を大切にして、それを発展させていくことにある。
自己認識とは、自分が何を考え、どう感じているかにチューン・インする能力を持つこと、それをどれくらい邪魔されずに感じることができるかということだ。
自己認識を拡大して、洗練させる能力を発達させることが、自分を表現した作品づくりの鍵になる。
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2025.03.19
社会人になってから、よく自分がこなした仕事を記録していました。
といっても仕事内容というより、自分を経由した仕事が人から人へとどう手渡されるか、それが組織でどう回遊するのかということに興味があってデータとして残していたんです。
3月1日10時10分 プロジェクトの作業についてAさんにメールで依頼を出す → 3月1日10時30分 Aさんからテーブルで話したいと返信がくる → 3月1日 13時10分 テーブルで詳細を話して納得してもった → 3月1日15時 プロジェクトの定例会議でAさんから説明してもらう → ・・・・・・ → 5月15日 サービスのリリース完了といった感じ。
当時は時間に余裕があったんでしょうね。
しばらく続けていると、いろんなことが見えてくるようになりました。
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仕事は人と人の間を移動するときに間違いやすく、滞留しやすい。
早めにやる人はいつも早く、締め切りギリギリの人はいつもギリギリ。
メールを出すタイミングが数時間ズレるだけで、全体の流れが数日ズレることがある。
万が一の確認をしなかったり、早めのタイミングじゃないと終盤で抜けもれの連鎖で恐ろしいトラブルが出てしまう、とか。
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やがて、もっと根本的なことに気づくことになります。
今思えば当たり前のことなんですが、その時まで仕事の定義をこう思っていました。
仕事とは「自分に任された作業をキチンと期待通りにやるもの」。
そうです、気がついたのは“自分の仕事だけ”見てても本当は仕事にならないんじゃないかということです。
全員の仕事を見れば見るほど、自分のところをいくら最適化したって誤差の範囲を出ないからです。
それよりは遠くまでバトンをつなぐ人たちのことを考えて全体がうまくいった方がいいんじゃないかなと。
いつまでも自分を中心に据えてばかりじゃいけないんだろうなと。
(ここらへんからもタスクリスト嫌い、個人目標嫌いが強化されています)
全体が滞ってくれば大きな成果は出ませんし、終いには自分の仕事が増えることだってあります。
あまり根拠はなかったものの、直感的にそう感じてから自分以外のことに気を配るようになりました。
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自分が取り組んでいる作業に次の人が役立つものを入れてみる。
2つ先、3つ先、分岐して終盤に効いてくる仕掛けをからませる。
配慮したものがどういう意味を持ったのか、丁寧に事実を確認する。
社内だけじゃなく社外を含めた関係者すべての仕事を頭に入れおく。
誰かが相手を困らせる依頼をしているなら、少しフォローしてみる。
自分に関係ないパートだけど、進行が怪しそうなら話しかけてみる。
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本当に余計なお節介なんですけれど、それを続けていたら自然とトラブルが減り、スムーズに流れるようになりました。
カンを頼りに始めたので、今でもこれでいいのかよく分かっていません。
たまに「無自覚な新人にうまくいく仕事ばかり渡していいのか」という意見があるからです。
けれど、こういうお節介スタイルが今ではMogicらしさとして受け継がれているのですから、気分はまんざらでもないのです。
2025.03.11
桃栗3年、柿8年とはよくいったもので、ごく小さな種から芽が出て根を張り花が咲いて実をつけるまでたっぷりと時間がかかります。
そう、3年というのはこのスピーディなご時世になんとも想像のつかない「古めかしい単位」に見えることでしょう。
IT企業なら3ヶ月もしくは1ヶ月単位でPDCA(Plan /Do /Check /Action)を回す、そんなイメージがあるかもしれませんが、Mogicではこの3年という単位を素知らぬ顔でよく使っています。
新しいことを勢いよくバタバタとはじめるも、半年や1年ぐらいでは微塵も振り返らず、2年経っても我慢して、3年過ぎてからようやく品定めする。
ただ、その3年すら最初の一歩目としか見ていない。
3年を5ターンほどつなげた15年目に向かってきちんとつながっているか、いろんな角度から思案してみる。
こう書いてるとなんとも気長すぎて大丈夫かなと思えますが、この間尺にはなんとなく数字的な裏付けが存在しています。
端折りながら、ちょっと長くなりますがおつきあいください。
はじめに3年後を評価するとして1日に積み上げるべき量を試算する。
話を簡単にするため、一次式の積算としています。
365日×3年=1095日、1095日を100ポイントとするなら1日あたり0.09ポイントほど足していけばいい。
もし半年後での評価なら、1年365日の半分182日が100ポイントとなり、1日あたり0.5ポイントを加えることになる。
プロジェクトが順調にいくなら、積み上げるポイントの差はそこまで大きくないように見えます。
ですがもし、最初の60日目までうまく進まないプロジェクトが多いとするならどうでしょうか?
序盤に進みが遅いなら、残りの日数でどのぐらいの強度でビハインドを追いかけないといけないのでしょうか?
最初の60日に1日あたり半分の成果しか出せないとすると、半年プロジェクトなら(0.5÷2)×60日=15ポイントの進捗となり、残り85ポイントを182日 - 60日=122日でこなさねばならず1日あたり0.7ポイントに上昇します。
3年プロジェクトなら(0.09÷2)×60日=2.7ポイントの進捗で残り97.3を1095日 - 60日=1035日でこなすとすれば、ほぼ変わらず0.09ポイントのままで済みます。
やや面倒な数字を連ねましたが、つまるところ3年単位でみた方が「プロジェクトの最初で発生しがちな停滞バイアス」を消すことができて、ビジネスや仕事の社会的な価値をより純粋に見定められるのではないかと考えているのです。
複数人でプロジェクトをするなら、当初はコミュニケーションが手探りで、課題への理解がまちまちで、これまでの経験もバラバラで、やる気もあったりなかったりする。
個人でも似たようなもので、最初に思ったほど楽しくなくて、壁に突き当たって止めてしまって、制約がないからつい先延ばしにして、違うものに手を出したりする。
そういうものを差し引いて、3年ほど続けられるのであれば一つの意味が定まってくるはず。
と、ここで具体例を出してみます。
Mogicが3年前にリリースしたものを沿革より抜き出しますと
2022年4月 授業支援システムPhollyが業界最安値帯で提供開始リリース
2022年4月 フレックス制度を導入
2022年9月 情報セキュリティの国際規格ISMS認証を取得リリース
2022年11月 eラーニングシステムLearnOが10周年記念で管理画面のリブランディングリリース
これらが今日までどういう風に進化してきたかと思い巡らせば、うん、7割がいい感じで、3割が改善必要。
だから、“これらの方向性には社会的に意味がある”とすることができる。
なんて考えています。
まあ、そうはいってもこういう一般的じゃないモノサシを導入するのはいいことばかりではありません。
それはそれでネガティブなインパクトにも気を配らねばならないのです。
その一つが、1日に割り振れる認知量というリソース問題です。
これも少し簡単な計算で表現してみます。
1人の人間が使える認知量を100%とする。
この認知量を超えると「つかれた〜」といいはじめて翌日以降のパフォーマンスが低下する閾値。
もし半年後に評価されるプロジェクトを進めるにあたり、1人が1日あたり使う認知量を20%とする。
半年で結果出すとなると、リソースを多めに投下するからです。
となると、1人が切り盛りできる最大プロジェクト数は100%÷20%=5個の並列稼働。
これが3年後に評価されるプロジェクトなら1日にかける認知量は、半年後のプロジェクトの成果量との比較から割り戻して、(1プロジェクトあたり20%)×0.09ポイント÷0.5ポイント=3.6%ぐらい。
だから、100%÷3.6%=最大28個のプロジェクトを並列稼働できる計算。
ただし、同時に動かすプロジェクト数に比例して素早く切り替えるために追加の認知量を求められるのでそこまで多くのプロジェクトを並列化できず、むしろマネジメントの仕組みや技量が高く求められる。
そうですね、結局のところ「数の少ないプロジェクトに多めの認知量を充填させるのか、膨大なプロジェクトにわずかの認知量をうまく分散させるのか」という問題に変換されてきます。
どちらを選ぶのが最適か?
そう問いかけるなら、やっぱり判断軸ははたらく人たちが何を望むか。
彼らがずっとのんびりとマイペースに暮らしていきたいと望むのなら、長期において全体の負荷量とそのブレ幅を予測してうまく平準化させる方法が最適のはず。
なので、少量の認知量での多重切り替えという負荷リスクは理解しながらも3年間という最低単位でたくさんの薄いプロジェクトを同時に稼働させてるんですよね。
なかなかそういう背景は入り組んでいて話しづらいから「Mogicにいると、なんだか違う感じで頭がフル回転してつかれます」と言われても説明しにくかったり。
だからじゃないですけど、分かりやすいモチーフとして”たっぷり手間と暇がかかる果物”を取り寄せてみんなでワイワイと味わっているんですけど、でもなあ、あれじゃなあ、どうにもこうにも100%口下手すぎるよなあ。
2025.03.05
忘れた頃に灰雪が積もり、街角に卒業の看板が並んで、東から鰆を呼ぶ風が吹いてくるなら、ここぞとばかりに年度末のやるべき仕事が重なり、ゆっくり見る間もなく花びらが舞い散るとしても、すぐに遠くから艶やかな黒い燕たちがやってきて、するりと滑るように新しい年度が始まっていく。
3月4月、何かと慌ただしい時節になりました。
こんな時は好むと好まざるとに関わらず、さんざんと仕事が降ってくるものです。
はぁ、ふぅ、ひぃと弱音を吐いてみるもののどうにもなりません。
とりあえずここは一つ、頑張っていこう、踏ん張っていこう!と口に出してみるものの、なんだか性に合いませんから、それはやめて勇猛果敢に手を抜いていくことにしました。
「え、手を抜くとこ?ここはもっと馬力あげてくんじゃないの」
そういう声もあるでしょう。
ですが、言い訳まじりに「手抜き」の語源を見ればあながちズレてはいないんです。
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手抜き
https://w.wiki/DHVo
手抜き(てぬき)とは、囲碁や将棋において、直前の着手に対して応接せずに、離れた場所に着手すること。
一般に、戦いの最中や、大きな欠陥を残すような場面で手を抜くのはよくない。
しかし手を抜いても大きな損害が出ないような場合なら、思い切って手を抜き、大場に先着するのも重要な戦法である。
また、完全に形を決めてしまわず、後に味や含みを残しておくために手を抜くこともある。
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大事なことは、「手を抜いても大きな損害がでない場合」という前提条件。
結局は山盛りの仕事を大局観で見るなら重心の見極めこそ大切で、それを見誤ると大損害となり、うまくいくと大成功になる。
判断を間違うと相当不利になるハイリスク・ハイリターンという情勢。
こう考えなおすとなぜか俄然やる気が出てくるもので、起業家とは因果で厄介で回りくどい職業なんです。