少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。
2024.05.27
入社したてインターン生は、不思議と同じようなことを言います。
「教えてもらってばかりで、成果が出ていません」
「今日は少し役に立ててきた気がします」
「顔と名前が一致しません。覚えます」
1、2ヶ月ほどすれば、日報ツールに
「相手の立場に立っていらない情報を見極める」
「見やすい、読める、飽きない資料作り」
「たくさん経験を積み、自分で考える」
「文章のリズムを崩さないように」
「解像度が高い議論をすること」
と書きはじめ、さらに1年経つと
「またお団子を食べられると思いませんでした」
「今日はドーナツ食べられてラッキーでした」
「ディスプレイのお手伝い、楽しかったです」
と笑っています。
最近はインターン生を直接トレーニングする機会がなく、あまり関与できていないのですが、チームで鍛えられるといつしかMogicの人っぽくなるんだなあと感心しています。
2024.05.20
ビジネスでは、レバレッジを効かせるという用語をよく聞きます。
レバレッジ=てこ(梃子)の原理ということで、主に小さな力で大きなものを動かす仕掛けの意味で使われます。
ですが、実際の梃子の原理は3つほどあり、身近なものは以下の通り。
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てこ(梃子)
https://w.wiki/45zx
第1種てこ
力点を右側とした場合は、左から「作用点、支点、力点」の順になる。
代表的なてこの一種で、古くから巨石などを動かすのにも使われてきた。
この種類のてこを用いて大きなものを小さい力で動かす仕組みを使っている道具として、くぎ抜き、洋はさみ、缶切り、ラジオペンチ等がある。
小さなものを速く大きく動かす仕組みとしてはトレビュシェットがある。
おもりが落下することによって石弾を高速で投擲(とうてき)することができるが、おもりは石弾の数倍〜数十倍の重量が必要となる。
第2種てこ
作用点を中心に置き、力点と支点が外側になる場合である。力点を左側に置いた場合は、左から「力点、作用点、支点」の順になる。
この方法を使って大きな力を加えて用いる道具には、栓抜き、くるみ割り器、蟹割り器、穴あけパンチ、空き缶つぶし器等がある。
第3種てこ
左側を作用点とした場合は、左から「作用点、力点、支点」の順になる。
力点に加えた小さな運動は、作用点において大きな運動となる。
その代償として、この種類のてこでは、加えた力よりも小さい力が伝えられる。
この種類のてこを用いた道具には、ピンセット、トング、手持ち式のホッチキス、箸、和鋏などがある。
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興味深いのは3つ目で、加えた力より小さな力しか得られないのに確かにピンセットや箸は便利な道具です。
つまり梃子の原理とはただ大きくするだけではなく、場合によっては弱くなってでも集中させることで局所的に力を発揮するために使われるということ。
次から次へと果てしなく生まれていく情報から、有用なものだけうまく絞り込む自律的なシステムを作る。
逆説的に見えるかもしれませんが(情報の無秩序さの度合い=エントロピーの視点からみれば)、これも立派なレバレッジであり、目には見えないレバレッジといえるのではないでしょうか。
2024.05.14
以前、知り合いの心理学者に“学ぶ”というプロセスを教えてもらいました。
曰く
「子育てでいえば、親が子どもにたくさんの情報を与えればいいってもんじゃないんですね。
これがいい情報だよ、ああしないと失敗するよって言っても意味ないことが多いんです。
言った時はできても似たような場面ではダメだったり、そもそも覚えてなかったりする。
前にいったじゃない、なんで同じ失敗するの、ちょっとは考えてっていうフレーズをしょっちゅう言うことになります。
なぜだと思います?
それは子どもの頭の中に、その情報をうまくキャッチできるアンテナができてないからなんですよ。
頭の中に魚の骨みたいなアンテナがあれば、ただ見たり聞いたりするだけで情報がどんどん引っかかって、血となり肉となっていく。
そうすると、いつの間にか自然と立派な魚に仕上がるんですね。
でも、アンテナができてないとすべての情報が右から左へ流れていってしまうだけ。
その場ではうまく真似られても、腑に落ちてないから(ビジュアル的には臓腑になってないから)応用できないんです」
では、と続けてみました。
「とすれば、頭の中のアンテナってどうやって作れるんですか?」
再び曰く
「アンテナがあるということは、骨格となる基本情報なら知っているという状態です。
ベースとなる知識が多少あって、さらに全体像がわかっているとアンテナになりやすい。
下水道の知識があると、歩きながらマンホールに興味もったりしますから。
ところが、この基礎となる情報って口で言うのは簡単なんですが、、、
実は頭に入りづらいんです。
要はアンテナができる前に情報を伝えないといけないわけですから、その基礎的な情報ってどうしても退屈に見えちゃうんですね。
だから、そこは工夫が必要になります。
できれば、知らず知らず覚えてしまっているようにいろんな実体験をさせたり、毎日ゆるーっと少しずつ少しずつ話をしていくのがいい。
家庭での会話が大切といわれるのはそういう側面がありますね。
友だちづきあいから新しいことに興味を持つのもそうです。
アンテナが増えてくると捉える情報が多くなりますから、それが好奇心がある、という姿勢に見えてきます」
なるほどなあと思ったので、それからさらに“教えなく”なりました。
それより、どうでもいい話をあれこれ広く展開しておくのがいいんだなと。
オフィスにビジネスっぽくない本を置いているのも同じ理由からです。
広くて浅い知恵のベースを作ることが、いつの日か競争力になったり、ならなかったりする。
Mogicでいえば、それを10年、20年という長いスパンで取り組んだりしています。
2024.05.07
会社で投資を行う際に、これは一体いつまでに資金として回収できるんだろうと思うことがあります。
もちろん誰かに説明したり、資料にまとめる都合上、便宜的に回収のタイミングと収益率を見繕いますが、現実にはよく分からないものです。
なんとなくビジネスの成長を見越してサーバを10台ほど追加で購入したとして、本当はどこでリターンするかは他の要素も多すぎて見極めきれないことがあります。
このことを金利を通じて説明した文章があったので引用してみます。
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金利「時間の価格」の物語
エドワード・チャンセラー(著)、松本 剛史(訳)
https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/24/02/21/01275/
利子ー貨幣の時間的価値ーは価値評価(バリュエーション)の核心にある。
中略
投資という行動ーたとえば、工場や機械などのインフラを整え、新しい工場を建てるーは、投資家が現時点での消費を見送ることが必要になる。
結果として利益が生じるまでに時間もかかる。
理論上では投資は、少なくとも収益率が投資家の時間選考に見合う場合にのみ行うべきものなのだ。
ジョン・レイは、社会が資本投資を行うかどうかの決定は、「その社会の成員の多くが現時点での財を、ある期間が満了したあとにその財が二倍になるのなら手放してもいいと考える、その期間の長さ」によって決まると言っている。
中略
金利が低下すると、企業はより遠い先に利益が出るプロジェクトに投資する傾向が出てくるーハイエクの用語で言えば、「生産構造」が迂回化するのだ。
金利が自然な水準より低く保たれていると、見当違いの投資が起こる。
生産に使われる時間が多くなりすぎる、別の言い方をするなら、投資収益が初期支出を正当化できないということだ。
オーストリア人経済学者のおかげで有名になった用語を使うなら、「誤投資(マルインベストメント)」は多くの形をとって、多くの規模で現れる。
たとえば、海底トンネルの建設といった費用のかかる「無用の長物のプロジェクト」や、まともに利益が上がるとは見込めない絵に描いた餅の技術計画などだ。
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低い金利で多くの資金を調達できるのと同じように(ごくたまに)手元資金が豊富にあった場合に投資するという行為は、(ごくたまにがゆえ)知らず似たようなプロセスになるんじゃないかという恐れが頭をもたげてきます。
つまり、(本当にあるかどうかは別にして)手元資金が潤沢だと感じられる状況ほど、生産構造にお金をかけすぎて求める時間内にまったく回収できない罠に自らはまりにいってるんじゃないかと。
マクロからミクロへの荒々しい類推から導くに、やはり投資する際の分からなさはいつまで経っても拭いきれないものじゃないかなと感じています。