Mogicはかんがえる

少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。

代表取締役 山根陽一

2024.07.30

選び取る、選び取らない

あらゆるものがサービスとして提供される現在、「選び取る」ことがごく当たり前の行為になりました。

当たり前すぎて何いってんだかと言われそうなぐらいです。

ちょっとあげてみると

子どものために良さそうな塾を探して、選び取る

家事を助けてもらうサービスを探して、選び取る

楽しめるようにネットで映像を探して、選び取る

キャリアアップのためにMBAスクールを探して、選び取る

遠くの両親のためにサポートサービスを探して、選び取る

自分の老後のために運用するサービスを探して、選び取る

ほか、たくさんあります。

これらのアクションに共通するのは、「リストアップと比較」ということ。

もう少し掘り下げると、ゴールに最短距離でたどりつこうとする思考スタイルがベースにあるように思います。

やるべきことが多く、時間が限られていますから自然とそうなります。

しかしながら、やがて日々あれやこれやと選びに選んで選びすぎて「選び取る」こと自体に疲れてしまったらどうしたらいいものでしょうか?

極端な方向性を二つほど思いつきます。

一つは、選ぶ=リストアップと比較という作業すらなくしてしまう。

要は「レコメンド(推薦)」「テンプレ(定型)」「ルーティン(日課)」化を推し進める。

もう一つは、選び取ることの反対で「選び取らない」こと。

外部のサービスを使わない(つまり、第三者による補助がない状態)となるので、とにかく自分でやっていくしかなく時間も労力もかかりますが、仕方ありません。

そうはいっても悪いことばかりではありません。

自分でやればできることは限られるわけで、ちょっと欲張っていたかなと思いなおし、なすべきことをグッとしぼれたりするんですから。

2024.07.24

らしい絵を描いたらいい

オフィスのとある部屋で模様替えをしたら、黒くて大きな壁が見えるようになりました。

内装工事したのはもうずいぶんと前ですから、モノがぶつかって擦れた跡がどうしても目立ちます。

ふうむと眺めてから、黒か白かで塗り直そうと思った矢先、先日読んだ本の一節がさなりと蘇ってきました。

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地下世界をめぐる冒険
ウィル・ハント(著)、棚橋 志行(訳)
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=971

一万四千年前、最後にこの洞窟へ入ったマドレーヌ人がたどった道に私たちはいた。

一万七千年前から一万二千年前まで続いたマドレーヌ文化は、ヨーロッパ先史時代にひときわ光彩を放つ。

これに先立つソリュートレ文化期(二万二千年前から一万七千年前)とグラヴェット文化期(三万二千年前から二万二千年前)にも、それぞれに輝きを放った時期があった。

彼らは優雅な石器を作り、尻を強調したヴィレンドルフの女神のような、小さく持ち運び可能な美しい像を彫刻し、有名な〈ショーヴェ洞窟〉に息を呑むような動物たちの壁画を描いた。

しかし、マドレーヌ人は名匠だった。

旧石器時代のフィレンツェ・ルネサンスと言ってもいい。

彼らが〈ラスコー〉と〈アルタミラ〉で描いたトナカイとバイソンはあまりに精妙で、とても古代の産物とは考えられず、初期の考古学者はでっち上げと断言したほどだ。
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汚れたからといって、ただ塗り直せばいいってものじゃない。

いつも見ている壁こそ自分たちのスタイルを表す場所なんだから、らしい絵を描いたらいい。

そう、設立15周年の記念、これにかこつければ。

と、いうことでオフィスに壁画を描くことになったのです。

2024.07.16

そんな時、そんなところに

年に何度か「うちの子、インターンとして働かせてもらえませんか?」と相談を受けます。

そんな時「いやあ、フローとして僕はまったく(採用するしないの)裁量がなくて。お手数ですが、サイトからご応募ください」とお伝えしています。

本当に学生の採用に関わっていないので申し訳ないのですが、それにしても親御さんの不安そうな口ぶりがいつも心に残ります。

小学校、中学校という義務教育を経て、高校、専門学校、大学と進んでから就職していく。

20歳前後の若者に、親ができること。

あんまりないんじゃないかな、嫌がられそうだし。

そんな気がしていました。

ですがもし、と考え始めると、違うように思えてきます。

もし親御さんの耳に何もかも市場に組み込んでいくネオリベラリズムの速歩(はやあし)が地鳴りのように響いているとしたら。

何もかも市場に組み込まれる、つまり子どもたちの生きる道が数字として相対化され、絶えず競い合っていくしかないとしたら。

そんなところに子どもたちを送り出したくはないが、避けられないなら先んじてうまく社会に立たせてあげたい。

そんな想いが透けているなら、これは社会に対する一種の防衛本能、または抵抗活動と映ってくるのです。

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ネオリベラリズム(新自由主義)
https://w.wiki/Ag5K

1930年以降、社会的市場経済に対して個人の自由や市場原理を再評価し、政府による個人や市場への介入を最低限とすべきと提唱する経済学上の思想。1970年以降の日本では主にこの意味で使用される場合が多い。

1982年に首相に就任した中曽根康弘は、「民活プロジェクト」推進を掲げ、民間企業の活力を利用して財政負担なしに社会整備を図り、さらには、日本専売公社、日本国有鉄道および日本電信電話公社の三公社を民営化させた。その後、橋本政権での金融ビッグバンや、小泉政権での聖域なき構造改革による規制緩和に新自由主義的政策は引き継がれる。
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2024.07.01

最後はスイーツなんだなあ

珍しくあっちへこっちへとバタバタしていたら、すっかり夏越の祓(なごしのはらえ)を忘れていました。

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大祓(おおはらえ)
https://w.wiki/3zah

大祓(おおはらえ、おおはらい)は、日本の神道儀式の祓の1つ。

明治6年太政官布告によって休暇期間としては定着しなかった夏越の祓であるが、『拾遺和歌集』に「題しらず」「よみ人知らず」として、「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」という歌にも見える夏越の祓は、古くから民間でも見られた年中行事のひとつであり、さまざまな風習が残っている。

夏に挙行される意味として、衣服を毎日洗濯する習慣や自由に使える水が少なかった時代、半年に一度、雑菌が繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で、残りの半年を疫病を予防して健康に過ごすようにする意味があったのではと考えられている。

また、旧暦6月晦日にはほとんどの地域で梅雨が明け、猛暑と旱(ひでり)が続く夏本番を迎えることになるが、この過酷な時期を乗り越えるための戒めでもあった。
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忘れていたとなれば、ついぞ行事にちなんだ和菓子、水無月を食べ損ねたことになります。

今年はみんなに買ってこれなかったなと思うにつけ、ああ、そういえばなんで夏越は水無月なんだろうと気になってきました。

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水無月 (和菓子)
https://w.wiki/Ag5o

藤本如泉『日本の菓子』(1968年)によれば、現在の形の水無月は昭和に入って京都の和菓子屋で作られるようになり、行事食に取り入れられたと言う。

三角形に切った白いういろうは「氷室の節句」の氷をかたどったものとも、四角を半分にしたことで1年の半分を示しているとも言われており、また小豆の赤い色にも厄除けの意味があるとされている。
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意外にもバレンタインデーのチョコと同じような由来だったんだと思うと

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バレンタインデー
https://w.wiki/3bCi

戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。

毎年2月に売り上げが落ちることに頭をかかえていた菓子店主が企画を発案したと云われている。

「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこのころであった。

文化的に日本の男性は女性にプレゼントをする習慣があまりなかったため定着しなかったので、女性から男性に贈るというキャッチコピーに変えると徐々に流行りだした。

菓子店の企画と広告、キャッチコピー、宣伝方法、百貨店とのタッグなどによる商戦の成功であったといわれている。

なお、バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、一説に大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニーの原邦生であるとされる。

原はその時「一年に一度、女性から愛を打ち明けていい日」というキャッチコピーをつけたといわれている。
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ちょっとほっこりした気持ちになりました。

夏越の祓という仰々しい名称といえど、または聖人を祝う記念の名称といえど、結局最後はスイーツなんだなあと。

1年に何度か区切りをつけるとして「やっぱ、シンプルに美味しいもの食べて祝うのが正解だよね」というのなら、きっとみんなはこぼれんばかりの笑顔でこっちを見てくるんだろうなあ。

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