Mogicはかんがえる

『自分たちの好きなように会社を作っていけばいい。
他と違ってても、普通じゃなくても、信じられることをやっていく。
信じられること、それって案外と少ないものですから
そう、本当に愚直に、率直に、真摯にそれを探してきたんです』

代表取締役 山根陽一

2025.09.29

バックグラウンドが違う相手へ

教える、教わるって難しいもんです。

「教えても教えても、全然うまく伝わらないんです」
「教わるのが終わったら、次に何をしたらいいか分かりません」
「自然とすごいところに自分を導いてくれる人が理想です」

もっともらしい(?)意見を聞くたびにまあまあとなだめていましたが、本当はどうするのがいいんだろうと思っていました。

ぶっちゃけていえば、相手と自分は違う人間だから本質的には“教える/教わることができない”んじゃないかと。

ある人がうまくいったのは、その人の経験や性格、タイミングが前提にありますし。

別の人がそれを逐一真似ても、どこにもうまくいく保証がないんです。

という不確実さを抱えたまま、教える/教わるを続ける不誠実さ。

だからといって、バックグラウンドが違う相手に何かを届けるってことを諦めたくはないもの。

でもなあ、どうしようかなあ。

何が伝わるとよくて、どうあるといいのかなあ。

そう思っていた頃に、ひとすくいの文章を目にすることになります。

それが今でも、Mogicでの教え方のベースになっているんじゃないでしょうか。

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詩のこころを読む
茨木のり子(著)
https://www.iwanami.co.jp/book/b269008.html

もし、ほんとうに教育の名に値するものがあるとすれば、それは自分で自分を教育できたときではないのかしら。

教育とは誰かが手とり足とりやってくれるものと思って、私たちはいたって受動的ですが、もっと能動的なもの。

自分の中に一人の一番厳しい教師を育てえたとき、教育はなれり、という気がします。

学校はそのための、ほんの少しの手引きをしてくれるところ。

高等小学校卒の石垣りんは学歴に関して劣等感を抱きつづけたと何度も書いていて、あるいは自分で気づいてはいないのかもしれませんが、自分で自分をきびしく教育することのできた稀な人にみえます。
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