Mogicはかんがえる

少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。

代表取締役 山根陽一

2020.02.13

本当は誰と競争しているのだろう

資本主義は競争、会社経営も競争、人生も競争かもしれません。

何かを目指して、誰かと切磋琢磨し、強みを出して弱みを消しこむのが競争で、もしかしたら自分自身と戦うこともあるでしょう。

競争について少し掘り下げて、戦略のあり方を書いてみたいと思います。

競争の骨格を抜き出すと「共通のルールの下で複数のプレイヤーがゴールを目指して優劣を決める」となり、資格試験が最もわかりやすい例として挙げられます。

科目や日時など試験の条件が複数プレイヤーに公平に周知され、当日のテストで獲得した点数により合格や不合格が決まります。

ルールも明確で、ゴールも明確なのが特徴です。

しかし、ここには隠れた前提条件があり、それをいじると競争に違った側面が見えてきます。

それは事前にルールを決め、ゴールの後に裁定している誰かの存在をなくすか、変更してしまう時です。

資格試験でいえば、試験内容や合否を決めている組織そのものを変更する側にまわるということです。

この場合にルールそのものを変更する人をゲームチェンジャーと呼ぶことがあります。

ルール変更そのものが競争のフィールドになるということです。

当然、ルール変更しても誰も信じなければゲームチェンジャーにはなれないため、ただルールを変えればいいというものでもありません。

大ざっぱに2つの競争をみるだけでも、それらを生き抜くやり方=戦略とは詰まるところタイミングなんだろうなと感じます。

いつ決めれられたルールの中で戦い、いつルールを変える方で戦うのか。

どんなに素晴らしいスキルを積み上げても、ルールが変わった後なら意味がなくなりますし、ルールが変わった直後なら素朴なスキルでもゼロよりは良いでしょう。

ルールが変わりそうな構造的な変化を感じ取り、先んじて記号化を仕掛けるか、記号化の後を見計ってすばやく模倣するのか。

競争から戦略まで考えを進めていくと、本当は誰と競争しているのだろうと思うことがあります。

長い時間軸でみれば、目に見える他社や他人はごくわずかな部分でしかありません。

2020.01.16

さくさく、ゆったり、じんわりと

料理をしていると、いろいろな調理のリズムを徐々に合わせていく面白さがあります。

鮮度を保つためにできるだけ素早く処理するもの、味がしみてくるまで冷蔵庫で寝かせるもの、コトコト一晩中煮込むもの、半年ほど漬け込むもの。

短いリズムもあれば、長いリズムもあり、それらを食卓にのせるときにはピタッと合わせなければなりません。

日本食では素材の旬というリズムもあり、1年を通じて気を配る必要があります。それが伝わる一節があったので書き出します。
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一汁一菜でよいという提案
http://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=34247

季節の移ろいの中にある滋味を楽しみとします。

旬をはずさないのは日本人と野鳥だけ……というのは少し大げさですが、旬の楽しみ方の幅、細やかさ、深さを考えれば、まんざら嘘でもありません。

特に旬を「はしりもの」「さかりもの」「なごりもの」に分けて、交差する生命のはじまりと終わりを五感で感じ、意識するところにそれは現れています。

すべて季節に添うところにあるという和食の感性は、私たちの身体が秩序を持って大自然とつながることを、情緒というかたちで気づかせてくれているのです。
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会社運営も似たところがあり、働く人やプロジェクトごとに時間の流れがまったく違います。

平成最後に卒業した新卒が進むペース、地方から出てきて東京で10年働いて子育てしている人のペース、5年以上しっかり取り組んできているプロジェクトのペース、新しい事業を立ち上げていくペースなど時間の進み方はバラバラです。

でもそれが自然であり、そんなバラバラな時間のリズムを感じていくことがマネジメントかと思っています。

2019.12.13

「働く」から引いたり、掛けたり

会社で働いていて、「お金を稼ぐ」という前提条件を引いたときに、何が残るかということを考えています。

「株式会社に所属する」というスタンスを選択したら売上を上げて、利益を上げていくという資本主義はあまりに自明なことです。

それがまずは会社を経営したり、会社で働く理由になります。

ただし、働くということに1日7時間以上を使うと考えた時に、少し欲張りですが「お金を稼ぐ」以外の何かを満たすことは精神のバランスを保つために大切なことだと感じています。

仕事がうまくいきはじめた、少し褒められた、仲間ができたなど人によってモノサシは違いますが、未来の自分に期待を持てるかどうかかなと。

また違う角度から、よくインターン生から受ける質問として「将来働くことに保険を掛けるにはどうしたらいいか」というのもあります。

職業を1つに絞るリスク、やりたい仕事じゃないリスク、長時間勤務になるリスク、転勤になるリスク、嫌な上司にあたるリスク、起業できないリスク。

理想的にはそれらを回避できるオプション取引があればいいですね。

本当にオプションがあるかないかは別の議論として、不安が先行しすぎているようにも感じます。

不安が生まれ、期待に変わり、心配ごとが増え、希望がふくらんでくる。

季節がめぐるたびに、仕事の年輪が増してくるとそれも理想的といえます。

2019.11.21

ORIGAMI、情報の折りたたみ方

ベタですが、海外にいっていろんな国の人と仲良くなる方法に日本人らしい「折り紙 ORIGAMI」があります。

折り紙の認知度は高く、作り始めると「ああ、アレね」的な感じで関心をもってくれます。

ただ、ツルや風船は知っている人も多いので、おまけに完成した折り紙にその人の名前を漢字で書いてあげると大体喜ばれます。

折り紙を作りながら、いつも感じることはこれこそ「価値」を作っていることであり、「情報を整理する力」なんだろうなということです。

折り紙の材料は、1枚の何気ない紙です。

世界中どこでもあります。そしてペンもどこにもあります。

誰もがどこにでも「ある」と思っているものから、数十秒でツルという日本の世界観と漢字にされた見慣れぬ自分の名前という違和感を相手の中に作り上げます。

ありふれすぎて、慣れすぎて「なかった」ものが「ある」ようになる瞬間がそこにはあります。

ありふれたモノから新しい価値を作るプロセスは、ネット上のありふれた膨大な情報から知見を得るヒントを与えてくれます。

おそらくは「膨大でありふれた情報」という認識の枠組み自体が違っていて、ありふれた情報を折りたたんで価値にする方法が見えないし、さらに厄介なことにそれは不確実で、どんどん変化しているようです。

2019.10.17

ベッドタウンの会社文法

1950年代に専業主婦が大勢だったという話と表裏一体にあるのが、会社組織は大半が男性で占められていたという事実です。

そのころに作られた会社文化は当然ながら、働く男性がより働くために作られた文法=会社文化になります。

それらは歴史のある会社に脈々と受け継がれて今にいたり、働き手の多様化との齟齬に折り合いをつけるようになってきました。

育休制度や時短勤務、働き方改革が昨今議論されているのはそのあらわれかと思います。

Mogicという会社は、2009年に設立し、オフィスが石神井というベッドタウンにあることで会社の人員構成が地域のものと近くなっています。

年代は19歳から65歳以上、学生もいれば独身、子育て中のママやパパ、介護している人、孫の面倒を見ている人、留学生が中心です。

そういう背景から作られた会社の文法は、やはり働く男性だけの文法とは根本的に異なります。

就業規則でルールが明文化される以前に地域で働く人に寄りそい、暗黙の何かが作られました。

会社らしくない様々なイベントや規則はどうも働き手の多様化に合わせて合理的にできているようです。

2019.09.18

ランドスケープ・アーキテクチャー

都市計画学、造園学、地理学ではおなじみですが、日ごろなかなか聞かない用語「ランドスケープ」。

ランドスケープをすごく平たくいうと、「人と自然と人工物の有機的なつながり」といった感じで、MogicではITサービスや会社づくりを進める際にこのコンセプトを軸にしています。(実際のランドスケープ用語は分野ごとに定義が異なっているみたいです)

なぜITサービスを作る時にランドスケープみたいな考え方を持ち出すかといえば、IT開発がとかく、ぽつん、ぽつんと点単位で作られやすいため、それをカバーする発想が必要だと思うからです。

例えば、要件定義として使う機能がまとめられ、Webデザインとして使い勝手が作られ、データベースとして情報をとりまとめる場所ができて、それらを組み合わせて一つのシステムにします。

また、人に知ってもらうために検索エンジンでの上位表示に取り組んだり、ソーシャルメディアに投稿したり、プレスリリースを出したりします。

一見、それらすべては重要に見えますが、これを公共施設の建設に例えてみると何かが足りない気がしてきます。

まず、地域住民が使いそうな用途をまとめ、建物の外観や内装を決めて、多目的ルームの管理所を作ります。

できた施設を地域に周知するために、掲示板に優先的に張り出したり、知り合いに教えたり、回覧板にのせたりします。

それだけで本当に人が楽しんで使う「景色」が見えてくるでしょうか。

何かが足りない気がします。

たぶん、そこに住む人が生活をより豊かに感じる「楽しい何か」が欠けているようです。

ITサービスを作るときに最も重要な一つが、その部分をどうやって作り上げていくかだと思っています。

まあ、ITだとランドスケープというより、クラウドスケープでしょうか。

2019.08.19

贈り物としての教育

Mogicでは、いろんな場面で教育っぽいことが行われています。

「教育っぽい」と曖昧な表現になっている理由は、授業のように確固たるカリキュラムや成果目標はなく、偶然の出来事にあわせてやり方が変化したりするからです。

MicroTechというアイデアサービスづくりだったり、ラッシーづくりだったり、ボルダリングウォールづくりだったり、いろいろ行われてきました。

ずっと昔からこのような教育を続けてきて、一言では表せない効果があることはわかっているのですが、実際なぜこのようなスタイルの教育をした方がいいのかは、それを実践している人たちの間でも明確に理解できていませんでした。

最近ある書籍を読んで、これかなあと思った箇所があったので引用してみます。

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うしろめたさの人類学
https://mishimasha.com/books/ushirometasa.html

学生は、大学の授業の内容なんて、やがて忘れる。

自分も大学で受けた講義の中身は、ほとんど覚えていない。

それがどんな役に立つのか、目に見える成果がいつあらわれるのか、教育にも、学生にも、前もってわかるものばかりではない。

おそらく学生に残るのは「熱」だけだ。学生のなかで、その「熱」が次のどんなエネルギーに変わるのか、教員の側であらかじめ決めることはできない。

そもそも学生たちは、何者にでもなりうる可能性を秘めている。

授業で語られる言葉、そこで喚起される「学び」は、相手の必要を満足させる「商品」ではない。

どう受けとってもらえるかわからないまま、なににつながるかが未定のまま手渡される「贈り物」なのだ。

中略

贈与だからこそ、そのための「労力」は、時間やお金に換算できないし、損得計算すべき対象でもない。

もし教育を市場交換される「労働」とみなせば、その「成果」がきちんと計量できない以上、最低限の労力しかかけない、というのがつねに「正解」になってしまう。

それだと「教育」は、とたんにむなしい作業になる。

実際はほとんど届いていないかもしれないし、贈ったつもりのないものが届いているかもしれない。

教員の側には、つねに「届きがたさ」だけが残る。

教育とは、この届きがたさに向かって、なお贈り物を贈り続ける行為なのだと思う。
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チームワークを重視している経営方針だからこそ、教育をスキル向上などの費用対効果でみていなくて、贈り物としてとらえているのかもしれません。

2019.07.30

夕方にミックスジュースを作る

「夕方にミックスジュースを作る」こと自体に意味があるのではなく、夕方のリフレッシュの仕方がパフォーマンスに大きな影響を与えるのではないかということです。

Mogicは10時から会社がはじまり、ランチまで2時間グッと集中します。

その後13時から仕事をはじめると、普通にいけば19時までノンストップで続けることになります。

ただこれまでずっとデータを取ってきて感じたことは、どうも16時から17時の間に集中力が切れているらしいということでした。

そこで思い切ってパッと30分ぐらい使って、ワイワイ騒ぎながら飲み物を作ったり、食べ物を作ったりした方が生産性があがりそうだと考えて、週3回以上何かをやっています。

すでに2年以上前からやっていて特に問題もなく、むしろ若手が楽しそう感を出すために頭をひねるのでいいトレーニングになっているのかなと。

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