Mogicはかんがえる

『自分たちの好きなように会社を作っていけばいい。
他と違ってても、普通じゃなくても、信じられることをやっていく。
信じられること、それって案外と少ないものですから
そう、本当に愚直に、率直に、真摯にそれを探してきたんです』

代表取締役 山根陽一

2025.08.22

悪いことは重なるべく重なる

爆発的な成長、つまり指数的な増幅というのはよく目にします。

分かりやすくいえば右肩上がり、右上に向けてグイッと伸びるグラフのことです。

直感的にポジティブな印象ですから、よくビジネスの現場でアピールに使われます。

ところが、これとは反対に“指数的な減衰”というものはほぼ触れられません。

右下にギューっと沈みこむグラフ、これが案外と意味ありそうだったので深めてみようと思います。

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指数関数的減衰
https://w.wiki/6Jsy

指数関数的減衰(しすうかんすうてきげんすい、exponential decay)、または指数的減衰とは、ある量が減少する速さが減少する量に比例することである。
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ちょっと回りくどいですから、簡単な例で表現してみます。

1000個のおやつがあって、毎日その時の10%がなくなるならどうなるか?としてみます。

1日目:1000個ー100個*10%=900個
2日目:900個ー900個*10%=810個
3日目:810個ー810個*10%=729個
4日目:729個ー729個*10%=656個
5日目:656個ー656個*10%=590個
・・・・・
10日目:387個ー387個*10%=349個
・・・・・
15日目:228個ー228個*10%=206個
・・・・・
20日目:135個ー135個*10%=121個
・・・・・
30日目:47個ー47個*10%=42個

ざっくり分かることは最初の方が急に減って、あとはボチボチということ。

もし直線的ならもっとゆったり進んでいくのでこれが指数的な減り方の一番の特徴でしょう。

ですから、「え、なんで急に悪くなったの」と感じてから「どうして悪いことが重なるんだろう」となるなら指数的な減衰を表している可能性があります。

この現象をビジネスで応用するなら、どう考えるべきでしょうか?

それにはまず「直線じゃなく指数になる背景」を理解しなければなりません。

指数効果がはたらく状態を特定できなければ、線形と比較して意味がなくなるからです。

すぐに思いつくのは、ある集団(集合)において要素が独立していてバラバラなら線形になりやすく、要素同士がネットワークのように連関しているなら指数的になるのではないかという予想です。

“幸せ”というものを例にすれば、それを構成する要素(好きに使えるお金、仕事のやりがい、頼れる仲間や家族、自分らしさ、自由な時間、心地よい環境など)が相互に連関してるので一つでも悪化すれば連鎖して急激に幸福感が下がっていくみたいな。

他もありそうですが、あくまでちょっとした応用なのでご了承ください。

ならば導かれる指針は「急激に悪化する事態が見つかるのなら、それは単一の原因として対処してはならない」「多くの部門にまたがる業務こそ、大変だけど最初に取り組まないといけない」といったことでしょうか。

試してみないと分かりませんが、少なくとも急激に悪くなる事象への心構えぐらいはできそうです。

2025.08.08

地獄の蓋が開いて、閉じられる

明日から9日ほどお盆休みです。

少し長めの休みですから、あちこちで準備を進めています。

デスクの植物に水をたっぷりやって、問い合わせに自動返信を設定して、万が一にそなえて緊急連絡網を確認し、うっかり抜けそうな場所の戸締りをチェックする、と。

うん、まあ、このあたりはみんなよくわかっているのでいつも通りの安定感です。

抜かりなく進んでいく安定感、ううむ、だからこそ「これでいいのか」と生まれる不安感。

変わらないお盆だからこそ、ちょっと立ち止まって考えてもいいんじゃないか。

ということで、今回はお盆について少し調べてみました。

まずは由来をwikiから引用していきます。

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https://w.wiki/3snB

仏教用語の「盂蘭盆会」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれる。

盆とは文字どおり、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。

中華文化では道教を中心として旧暦の七月を「鬼月」とする風習がある。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考え方は道教の影響を受けていると考えられる。

台湾や香港、華南を中心に現在でも中元節は先祖崇拝の行事として盛大に祝われている。

盆の明確な起源は分かっていない。

1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)が、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったと言われている。

日本では8世紀頃には、夏に祖先供養を行う風習が確立されたと考えられている。

15日の盆の翌日、16日の晩に、寺社の境内などに老若男女が集まって踊るのを盆踊りという。

これは地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を模したといわれる。夏祭りのクライマックスである。

なお、新しく行われるようになった盆踊りは、他の盆踊りとの競合を避けるために、時期を多少ずらして行われることも多い。
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1000年以上前から存在する伝統行事としてのお盆。

祖先供養、精霊への供物、道教や仏教の影響がからみあったお盆。

新しい盆踊りが他の盆踊りとかぶらないようにさけるお盆。

パッとイメージされるのは、時代ごとのいろいろな思惑が褶曲して積み重なった露頭といった感じでしょうか。

一筋縄ではいかなそうなお盆ですが、それはそれ。

地獄の蓋が開いて、また閉じられるような稀なタイミングに違いありませんから、この次元が折り重なる期間にしっかり英気を養って、正月にむけて邁進していきたいものです。

2025.07.23

緩やかな速度を感知できない

年に何度かセキュリティの監査を受けています。

気軽に口にする“セキュリティ”、どこからも聞こえてくる“セキュリティ”、わかっているようでわかってない、そんな心持ちになったので少し掘り下げてみようと思います。

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https://w.wiki/EpNe

セキュリティに関して共通的に使用される用語(概念)がある。

1:リスク(risk) - 何かしらの損失を発生させる事態や状況への可能性。また、考えられる脅威を分析した結果として認識される損失発生の可能性(リスク因子)を指すこともある。

2:脆弱性(vulnerability) - リスクを発生させる原因。

3:脅威(threat) - 脆弱性を利用(exploit)して、リスクを現実化させる手段。

4:対抗策(countermeasure) - 脅威がリスクを現実化することを抑止(最小化)しようとする手段。対策ともいう。

5:保証(assurance) - 期待されたセキュリティを備えていることの「確からしさ」を見積もること。

6:評価(evaluation) - 保証の裏付け(エビデンス)を与えること。
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このうち、やがて面倒になりそうだと思ったのは脆弱性(vulnerability)と脅威(threat)の部分です。

なぜなら他の項目より外からの影響を受けやすく、時間とともにゆるやかに変化するだろうから。

小さな歪みが軋みを生んで、くりかえしガタピシいって、カタカタドスンとやってくるかもしれない。

そのズレていく緩やかな速度って、人間が感知するのは難しいと思うんですよね。

ということを鑑みるなら、セキュリティを「変化しやすい場所」からとらえなおしてもいいんじゃないでしょうか。

会社で一番変化しやすい場所を順番にリストし、その変化率を追う。

例えば、入社や退社、組織の改編やはたらく人の導線、お金の出入り、持ち運ぶモノとか。

そんなスローモーな監査、時間を早送りしながらやってみたいものです。

2025.07.08

苛む風に至り、冷ます頭で思う

昔の言葉でいえば、今は温風至(あつかぜいたる)という時節のはず。

日差しが強くなり、迫りだした高気圧から暖かい風が吹いてくるという様。

ところが現代はまさに、苛風至(かふういたる)ともいうべき暑さ。

体をいじめられるような、仕返しされているような熱さと感じてしまう。

さすがにふぅ〜と一息つかないと持たないので、少し早めに夏休みをとり、遠くにいってみました。

もちろんオーバーヒートぎみな体をいたわるための休みですから、会社のメールやチャットは1日1回見るか見ないかぐらい。

普段と比べて会社の情報がほとんど入ってこないからこそ、意外と会社のことが見えてくるものです。

「朝から珍しく緊急対応してるけど、どう進めるんだろう」
「今日は七夕だから、イベントやるつもりなんだね」
「新しい業務フローを議論してるけど、決め方をどうするのかな」

そんな心配をしながら、どうにもできないので忘れたフリ。

フリだったのに、からり吹き抜ける風に気を取られて忘れてしまう。

翌朝、思い出したように見てみると何かが話された痕跡が残るばかり。

「ふうむ、やっぱり現場で勝手に自己組織化するんだな」と思う。

他人を心配しても損ばかりとなってくれば、次に思うは自身のこと。

「経営するものとしてごく当たり前のことをできていたのだろうか。絶えず『何をすべきで、何をすべきでないか』と問えていただろうか」と。

ひやり冷ました頭をふたたび稼働させるよう、意を決して照りつける都会に戻るのなら、手始めにそれからやらねば始まりもせず、でしょうに。

2025.06.23

社会レベルの知能が圧縮される

コンピュータやネットが普及するにつれ、どんどん細かく情報を見られるようになりました。

わかりやすく広告の掲載を例にとりますと

以前は雑誌に広告を載せると発行部数や読者層からなんとなく見られる人が推測され、なんだか問い合わせや注文が増えたという感じでした。

これがネットになると広告の表示回数や場所、クリック数、そしてクリックしてから購入までが厳密な数字として表示されます。

場合によってはユーザーがマウスでどういう操作をしていたかまで分かったりします。

十分これでもすごいのに、最近は一段と知ることのできる範囲が広がってきました。

かなり遠く深くまで、ズズーっとさかのぼれる感じになっているのです。

どうやら技術の進化が観察の次元を上げるようで、まずはそこに触れている文章から引用します。

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誰も知らない生命 アセンブリ理論が明かす生命とその起源
サラ・イマリ・ウォーカー(著)、水谷 淳(訳)
https://str.toyokeizai.net/books/9784492800997/

のちに人間社会が顕微鏡や望遠鏡を発明したことで、“ものを見る”ためにさらに複雑な方法が進化した。

顕微鏡によって、それまで知られていなかったミクロの世界を見ることが可能になり、生物の細胞から素粒子に至るまでさまざまな発見がもたらされた。

望遠鏡によって、宇宙の遠方を見ることが可能となり、ほかの惑星のまわりを公転する衛星や、ほかの恒星のまわりを公転する惑星が発見された。

その意味で私たちのテクノロジーは、現実を新たな方法で見るために私たちが進化させる、いわば近くのフィルターである。

したがってできる限り広い意味で言うと、テクノロジーとは、本来存在しえないものを存在可能にする知識(時間をかけて選択された情報)、それを応用することであるといえる。

現在この惑星上で出現しつつあるテクノロジーの中でも、もっとも広く議論されているものの一つが、人工知能である。

人工知能は実体を持たない、さらには進化の流れから外れている、と論じられることも多い。

だが大規模言語モデル、コンピュータ視覚、自動化装置など、私たちが現在開発を進めているテクノロジーは、それを生み出した生物圏から切り離されてなどいない。

生命の新たな能力が、新たな基体の中で再び実現したものにほかならない。

そしてそれによって、新たなスケール、惑星規模の知的生命が出現しようとしている。

開発が進められている人工知能がもう一つの重要なピースとなるのは、十分に大規模にデータを処理することで、私たちと同じくらい時間的に深い物体を見ることができるからだ。

その意味で人工知能も、知覚のテクノロジーの一つといえる。

私たちを(社会のような)集合体として記述する膨大なデータを、個々の人間が理解して触れ合うことのできる長さとタイムスケールに圧縮する。

そうすることで、私たち自身を初めて根源的な形で、より抽象的な形で観察できるようにしてくれる。

ChatGPTを疎んじる人がいるのは、(あちこちで論じられているように)人間レベルの知能だからではなく、社会レベルの知能を人間のスケールに圧縮しているからだ。
ーーーーー

うまくニュアンスを伝えたくて、引用が長くなりました。

最も気になるのはこの部分

「人間レベルの知能ではなく、社会レベルの知能を人間のスケールに圧縮している」

これの意味するところは、人工知能との本質的な向き合い方は日常会話や会議の延長には“ない”ということでしょう。

つまり、1対1で会話する、数人で議論するという経験的に身についた技法では観察の次元が上がりきらないんじゃないかなと思います。

感覚的にいえば、これまで蓄積された社会まるごとと一瞬でババーっと会話するテンション(と人工知能からみれば多くのアテンションヘッドとレイヤー)が必要なんでしょう。

しかも膨大な情報を折りたたんで届けてくれるんですから、とにかく便利ですけど末おそろしい世の中になったものです。

2025.06.10

アップサイドとダウンサイド

商品としてのクラウドサービス開発は、社内で合意を得やすいものです。

契約にいたれば売上や利益になりますから、あまり反対する理由がありません。

あるとすれば、売れなかったときにどうするんだというぐらい。

他方、クラウドサービスを支える土台なのに意外と開発しにくいのが社内の業務システムです。

おそらく商品とは違い、一つ一つの業務フローが損益と直結しづらいからでしょう。

業務をシステム化したところで利益になるのか、ムダにならないのか、メンテナンスの手間がかからないかといった声が少なくありません。

しかし本当は感覚的に分からないことこそ、一度どのぐらい大事かと推定してみた方がいいのです。

例としてクラウドサービスの業務をすこし切り出してみます。

問い合わせを登録する、問い合わせに返信する、相談を受ける、見積を出す、契約書を結ぶ、請求書を送る、入金を確認する、経理処理を行う、データ分析する。

これらに概算でかかる時間を入れてみます。

1件あたり
・問い合わせを登録する:5分
・問い合わせに返信する:5分
・相談を受ける:15分
・見積書を出す:15分
・契約書を送り、締結する:30分
・請求書を作り、送る:10分
・入金を確認する:10分
・経理処理を行う:15分
・データ分析する:15分
総時間:2時間

というベースを作ってから件数を拡張していきます。

10件なら20時間
100件なら200時間
1,000件なら2,000時間

と単純に導くことができます。

仮に1時間の価値を低くみて5000円とすると、10件で10万円分、100件で100万円分、1000件で1,000万円分。

もしこれが1ヶ月あたりの数字だったとしたら、永続的に10万円から1,000万円が浮くはず。

つまり、それらを売上の積み上げからまかなうより業務システムの効率化が確実で持続的だと考えられる。

しかもこの計算は部分として切り出しているので、本当は業務同士が連結していて乗数効果となりえる。

ビジネス風味でいうと「アップサイドの効果は無限、ダウンサイドの影響はかけた開発コストだけ(実は機会損失もあるけど免除)」という想定条件。

日常用語でいいなおすと「うまくいったら効果絶大、ダメでもかけた手間を失うだけじゃん」。

というのが信じられるなら、よっこらしょと業務システムを作ってみるのです。

まず小さな業務システムを作り、実際に浮いた時間を計測する。

予定通りか、予定以下か、予定以上か。

予定通りじゃないとしたら、なぜ外れたのか。

ただひたすらに何世代も作り変えていき、やがては誰もが便利だなあという日がくればしてやったり、なんてね。

2025.06.06

夏のアプリ開発、奇妙な噂話

いつとなく雨が降りはじめるころに、夏のアプリ開発がはじまります。

ご存知ない方のために補足しますと、Mogicでは年3、4回ほど実験的な無料アプリを短期決戦で作っています。

新年を祝う年賀アプリ、ジョーク満載のエイプリルフールアプリ、思いつきの社内エンタメアプリ、最後に今から取り組む夏休みアプリ。

【年賀アプリ】https://microtech.mogic.jp/category/01002000
【他エンタメ】https://microtech.mogic.jp/category/01005000
【季節アプリ】https://microtech.mogic.jp/category/01001000

例年ならインターン生を集めてスタートさせるのですが、今回は特別に社員だけでやることになりました。

というのも、ここ数年社員の間で奇妙な噂話があったからなんです。

それが起きるのはいつも空いたペットボトルや缶ビンを少し離れた回収場所に出す時のこと。

途中でしょっちゅう見知らぬ誰かに呼びとめられるというんです。

それも普段めったにないような奇っ怪なシチュエーションで。

ある人いわく「髪をふりみだした老婆にきつく問いつめられた」

ある人いわく「子どもが笑いながらずっとついてきて褒めてくれた」

ある人いわく「後ろ向きに歩いている人が前にいてバッチリ目があった」

という、にわかに信じられない話ばかり。

これはきっと妖かし、または目に見えない何かの仕業に違いないぞ。

そう盛りあがっていたら、フッと導かれるように自分たちの体験を再現する夏の夜のアプリを作ることになっていました。

これからアプリを開発するので、結局いつものようにうまくいかず肝を冷やすのでしょうからリリース日は不明です。

今回はじめてのウェブブラウザで3D操作できるアプリ(のはず)なのでそこはご期待ください。

2025.05.27

無限にみえるオプションの果て

Mogicの社内がワサワサ、バタバタしていることはほとんどありません。

のんびりしてるといわれればそれまでですが、経営の視点でいえば「目の前の仕事に対応してない」からだと思っています。

今日のことを今日判断するんじゃなくて、はるか地平線上にある選択の可能性を今日考えておく。

「はるか先って、いつのことなの?」と問われれば「少なくとも半年、長くて数年、10年先に起きそうなこと」が答えになります。

前にも「桃栗3年、柿8年という体感」という記事でふれたようにとにかく長めにとらえています。

「じゃあ、なんでそんな先のことを考えるの?」と問われるなら「ベースはオプション取引のスキームを使ってるから、誰もがパッと判断できないような未来がいいんです」と答えています。

オプション取引、ちょっとなじみの薄い用語がでてきました。

分かりやすくするためにギリシャの哲学者タレスの話を引いていきます。

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オプション取引
https://w.wiki/EJEy

紀元前6世紀、ギリシャのサモス島にタレスという学者がいた。

彼は数学や天文学に通じ、紀元前585年に起きた日食を予言したと言われるが、貧乏をしていたので、ある者が「お前のその学問は、いったいなんの役に立つのか」と罵った。

そこでタレスは学問で実際に金を稼いでみせようと出かけていって、島の特産であったオリーブから油を搾る石臼を持っている男にいくらか金を払い、オリーブの収穫期に臼を借りる予約をした。

数か月後、その年のオリーブは大豊作になり、島の石臼はのこらず必要になった。

タレスは石臼を高値で又貸しして利益を得たという。

これが世界史上初のオプション取引とされる。
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おもしろいのは、未来にうまれる価値(オリーブの大豊作)を今日のちょっとした判断(いくらかの金)で予約できたということ。

「未来なんて分からないさ」と割りきるんじゃなくて、ありそうな未来に少しだけ賭けておく。

ちょっとだけ先取りして、ヘンゼルとグレーテルのパンくずのようにわずかなしるしを残しておく。

通る“はず”の帰り道のために、先に失っていいモノと後で得られるだろう価値を天秤にかける。

不確実な未来という無数の分かれ道を前にして、ほんのすこしのシグナルを受けとる。

まあ、まあ、そんな感じで格好をつけてしまいました。

きっと次のような反論があることでしょう。

「未来の分岐は膨大にあるから、全部は考えられないじゃないか」
「未来っていっても6ヶ月先なのか、24ヶ月先なのかで違うし」
「未来の3ヶ所に選択肢が3つずつで27通りって、検討だけで日が暮れる」
「小さなリソースを前借りしすぎると結果的にかなりの量になるじゃん」
「予想できないことが起きるんだから、考えるだけ意味ないよ」
「複雑に考えすぎて、動けなくなるんじゃないか」
「どうやればいいか、まったく分からないし」

そうです、分からないから大変なんです。

大変だからこそ、時間を見つけてはあれこれと想定してオプションを作り続けて来るべきときがきたら一つ一つ取りだして丁寧に検証するしかない。

可能性というものの前提として外れることが多いから、作ってから後で見直し、作っては見直しをくりかえす。

作りすぎてもダメだけど、作らなすぎてもダメ、だからひたすらに続ける。

次第につくるべきオプションとつくらなくていいオプションが見えてくる、はず。

無限にみえる取り組みの果てに(これを純粋持続というなら)、いつか直観と呼ばれるものにたどりつけるのでしょうか。

成果はさておき、こういうの嫌いじゃないのでついクセで作ってるようになったかな。

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