『自分たちの好きなように会社を作っていけばいい。
他と違ってても、普通じゃなくても、信じられることをやっていく。
信じられることって、案外と少ないものですから
そう、本当に愚直に、率直に、真摯にそれを探してきたんです』
2022.06.20
人が二つのことを同時にできないということは、二重課題干渉の実験で知られています。
一つのプロセスが他のプロセスに干渉してしまい、ミスや遅延が発生するというものです。
資料を作りながら、別の電話にも出るというのは至難の業でしょう。
ところが残念なことに、会社という場所はいろんな仕事が次々にやってくるものです。
一つずつ順番がついていればいいのですが、たいていは何かをしていたら、別の何かが割り込んできます。
Aプロジェクトのアイデアを考えていたら、Cプロジェクトの進捗で相談を受けたり、今月中に健康診断を受けなさいといわれたり、打ち合わせ後にメールやチャットがたんまり溜まっていたり。
現時点で優先順位をつけても半日後には変わってしまうかもしれません。
では、どうするのがいいのか?
アイデアとしてはいくつか思い浮かびます。
プロセスの中にも干渉しやすいものとそうでないものがあるだろうから、しにくいもの同士で同時にこなす。
優先順位をきっちりつけると変化に弱くなるから、ゆるい優先順位をつける。
ガッツリ集中すると別のことが割り込んできた時にイライラするから、やんわり集中する。
どれがいいのかはさっぱり分かりませんが、とかく現代の会社は頭が忙しいことだけは確かです。
2022.06.13
変わりやすい空模様のころ、七十二候でいえば腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)に入りました。
蒸れた枯れ草から蛍がふわっと飛び立つさまを表現したものですが、都会では当然のように見かけることはありません。
暗い畦道で鈍く光って消えのぼるホタルを思い出しながら、そんなウェブサービスをいつか作りたいなあと考えるようになりました。
はっきりした照明、キラキラしたネオン、押せばシャットダウンするボタン、分かりやすく整理された情報。
それはそれでいいのですが、そうじゃない体験を作ったりしたいものです。
2022.06.06
電子回路とかIoTをつかった悪戯(いたずら)をしようと思って、ひさしぶりにプログラムを書いて、ちょっと動かして、あいかわらず途中でやめました。
高度な動作をさせたくて組んでいるというより、驚かせるのが目的なのであちこちのソースを組み合わせつつ作ればいいだけなんです。
途中でやめて気がついたことは、やめる直前に昔より取り組むものの難易度と悩むだろう時間がよく分かったことでした。
実際にやってみないと実測値はでませんが、後で答え合わせとして近しいソースを調べた時に予想とあまりずれていないなあと。
時間を気にせず、たっぷり時間をかけてもいいし、途中で止めてもいい。
そういう判断が必要なのが、自分にとって未知のものを学ぶときでしょう。
探索型学習とも呼ばれる、そのスタイルはとかく粘り強く続けることが強調されますが、案外うまく諦める力が大事なんじゃないかなと思っています。
2022.05.30
定期的にインターン学生から「休日は退屈で仕方ありません。趣味もないので、ダラダラして後悔します」という悩みを受けます。
本当に趣味がないのかなと思って聞いてみると、意外とそうではありません。
料理したり、お茶したり、買い物したり、散歩したり、マンガ読んだり、Netflix見たり、ゲームしたり、ネットしたり、バーベキューしたり、観光したり。
それらは趣味でもいいんじゃないかと思いますが、趣味じゃなく退屈も紛れないというので別の何かが引っかかっているようです。
ちなみに諸説ありますが、「余暇」という概念、週に2日以上休みがあるというのは産業革命後の1930年代に広まったといわれています。
そこから週末に遊ぶレジャー施設が作られ、山歩きする国立公園が整備され、バカンスで長期滞在するスタイルが作られていきました。
しかし思えばまだ100年の歴史ですし、日本ではもっと短いでしょう。
そうして今や常時オンラインでつながり、働く時間と楽しむ時間さえ区別が曖昧になってきています。
生き方の難易度が上がりつづけているなか、彼らにとって良い生き方とは何かと話し合いを続けています。
2022.05.23
ダ・ヴィンチのモナリザは、肌の透明感がすごいと聞いたことがあります。
普通の制作工程では考えられないほど、とても薄く透明に近い膜がいくつも重ねられているようです。
乾かぬ間に塗ってしまえば下の層と混ざり合いますから、数ヶ月待ってまた塗るという気の遠くなるような手間暇が透けてみえます。
塗って、待って、眺めて、考えて、また塗る。
最初に塗り始めて、絶えず変化する考え方を重ねていきますから、思考の変遷も相当なものだったんだろうなと。
こんなに長くかけることはできませんが、1つのプロジェクトの最初と最後で考えがどのように変わっていったかを記録することがあります。
最初の気持ち、途中の感じ方、到達した考え、後に振り返ったときに見えるもの。
自分にとって良い変わり方と悪い変わり方があって、無意識でぼやけていた限界がきれいに透けてみえるようになったら万事OKです。
2022.05.16
週末に小型ヨットの講習に行って久々に長いこと固いデッキや椅子に座ったせいか、腰がカチコチになりました。
あわせて覚える用語やするべき動作が多いので、頭もパンパンです。
そもそもヨットには二つの帆があり、それに連動したシート(ロープ)を加減し、片手で舵(ティラー)を操ります。
天気は刻一刻と変わり、風は小刻みに振れて、いく先の波を感じ取らねばなりません。
自分が操作すると要素が多くてうまく変化できず、流れに乗り切れないことばかり。
少し慣れてきて、ふとした瞬間にうまくはまると風に乗ったようで楽しくなってきます。
これが動力で進む船にはない、自然との一体感なんでしょう。
そうしてやっぱり、手探りで感じて変化していくところが起業と似ているんだなあと思います。
クライアントのかすかな声、新しい市場のまたたき、消え入りそうなお金、必死にくらいつく努力。
あれもこれも上手に反応しなきゃいけないと思っても、大概はうまくいきません。
ひたすら感じるままに風に乗れる瞬間を求めていくしかないのです。
数年前に子会社を作りはじめたのは、一緒に働くメンバーにそういう経験をしてほしいと考えたからでした。
遠くから眺めていたり、誰かが操縦している船に乗っても味わえない感覚。
今も自分たちの小さなヨットで漕ぎ出して、あらゆることに合わせようとしてもがいています。
雨が強くても波が高くても前を向いていますから、いつの日かうまく風をとらえてくれることでしょう。
2022.05.09
社会人になってから、本の読み方に少しばかり変遷があります。
最初は何も分からないので入門書を手に取ります。
慣れてきたら1つの分野を網羅的に理解したいという気持ちから、アーカイブ型読書になりました。
アーカイブ型読書というのは1つの分野の書籍をあれこれ読み漁ることなのですが、ちょっとだけ工夫があります。
1つの分野でも書店の棚には100冊以上ありますから、全部を読むのは得策ではありません。
ということから全体の知識量の80%でいいから、最短距離で学ぶにはどうしたらいいだろうと考えます。
気づかれた方もいるように、パレートの法則というのを使います。
全体の20%の事柄で80%の結果を表現できるというものです。
100冊のうち20冊で80%の知識は得られるんじゃないかと読み始めて、1冊のうち20%の部分で80%の言いたいことが分かるんじゃないか、専門用語の20%を覚えれば全体の80%を説明できるんじゃないかと、入れ子状にどんどん省略化していきます。
それでも限界がありますから、適度に圧縮して全体像を把握してから誰かに話を聞いていました。
やがてこの方法はアーカイブそのものが持つ古さを拭えなくなります。
次に考えたのがストリーミング型読書です。
アーカイブとは違い、今週書評された本、先週知人友人がいいよといった本、今日気になった雑誌だけに目を通します。
今という旬の感覚を、言葉に書いてある以上の雰囲気で察してみるというものでした。
ただし、ここ数年はこれにも限界を感じることが増えました。
原因を考えてみたところ、本というメディアの生産工程に一因があるんじゃないかと思っています。
著者がアイデアを思いついて出版社の編集者と議論するのに半年、そこから書き始めて半年から数年、さらに印刷して流通にのるまで半年、つまり最短でも1.5年、長いと数年。
かつては本が流通するまで、そこに含まれる情報が先に出ていくことは少なかったと思います。
しかしネットが発達するにつれ、関連する情報の一部は簡単に流通するようになりました。
著者が思いついてから1.5年後に受け取る完成度の高い文章群と、著者が思いついたころにあちこちで発信される断片的で粗いメッセージ。
その2つが競争している感じがして、また新しい方法を編み出さないといけないようです。
2022.05.02
感覚的な話なのですが、大きく時代の断層が見えている気がします。
数学のABC予想問題における意見の相違と、物理学のAdS/CFT対応からの議論の発展は生身のヒトとして理解しづらいものがあります。
ありえないものを同時に重ね合わせるということが大事なテーマになってきて、僕らはどうすべきかと議論しています。