Mogicはかんがえる

少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。

代表取締役 山根陽一

2021.08.02

プロダクトは出す、サービスは育てる

Mogicには、半年に1回ほど若手がちょっとしたプロダクトをリリースするMicroTechというプロジェクトがあります。

ちょうど今は夏休みにぴったりのものを出そうと奮闘しています。その試行錯誤の中でプロダクトとサービスって違うよねという話がでてきました。

あくまでMogicでの定義になりますが、「プロダクト=リリース時から1ヶ月ぐらいがピークになるもの、サービス=リリース時から継続的に成長をつづけていくもの」です。

準備期間や考える時間が全然違ってくるので、はじめからこれはプロダクトとして出す、これはサービスとして作り込むという風に決めています。

プロダクトは、1つのアイデアや技術を起点に作ります。1つの視点で見ればいいので、割と楽に作れます。

サービスの場合は、アイデア/組み合わせる技術/デザインの方向性/市場のタイミング/他社の動き/統計データの分析/サービスのスケーラビリティ試算/人員の採用/チームの育成/財務やキャッシュフロー/マーケティングやブランディングなどすべての視点から妥当性を検討していくので、骨が折れます。

そして、タイミングが合わなければどんなにいいプランでもやがて伸び悩みますからボツにしています。

サービスは一度はじめてしまえば止めることが難しいので、勇気をもって最初に止めざるをえません。

さらに最大の難関は、サービスを育てる人員をどうやって育てていくか、ということです。

もしサービスを作れる人員をパッと外部から採用できれば楽でしょうが、そんなことはありません。

結局、自社でプロダクトをいっぱい作りながら、フィードバックをかけながら、いつかのサービスのために力を蓄えてほしいなと思っています。

2021.07.27

ブランディングとマーケティングの組み合わせ

何気につい口にしてしまうビジネス用語にブランディングとマーケティングがあります。

意外とその定義や用途をうまく説明できないクセモノなんです。

手にとれるものでもなく、目に見えるものでもないので伝わりづらいのですが、Mogicでは以下のように説明しています。

ブランディング:見せたいものを見せ、見せる必要ないものを見せないもの

マーケティング:受け取る人の導線に、さりげなく置いてあるもの

ブランディングのわかりやすい例はテーマパークで、世界観を保つために生活感のあるマンションなどは見えないように設計されています。

マーケティングは、スーパーのレジ横のガムです。レジ待ちで手持ちぶさたになって、そういえば買おうかなと思ってしまうところです。

かといって、二つは相対するものではなく、うまくブレンドされるといいのでしょう。

テーマパークでいえば世界観を作るためにブランディングを使い、グッズコーナーは出入口付近に配置するというマーケティングが必要になります。

そしていずれの用語も現在進行形ingですから、「時間とともに感じ方が変化する」ことをどう捉えるか考える必要があります。

2021.07.20

やりたいことがみつからない話

多くのインターン生と話してきて、よく遭遇するのが「まだ将来やりたいことが見つかっていない」または「やりたいことが多すぎて決めきれない」という悩みです。

別に焦る必要はないかなと思っているので、そのうち決まってくるといいよねというコメントだけしています。

このことについて以前、就活の指導で有名な方に聞いたことがあります。

そうしたら「経験値からいっても90%の人はやりたいことが決まってないですね。それが普通なんです」とのこと。

この状況は何かに似てる気がして、振り返ってみたら「起業したい人」にも通じるものがありました。

「起業したいけどやりたいことが見つかっていない」「やりたいビジネスが多すぎて決めきれない」「いつか起業はしてみたいけど、いつか分からない」。

つまるところ裁量の自由度が高い場合に何かを選び取り、それに集中する選択はかなり難しいということなのでしょう。

もし就職しか道はなく、しかも10の会社の中から選ぶしかないなら、よりシンプルかもしれません。

もしビジネスモデルが3つしかなく、いますぐ起業するしかないなら決断しやすいかもしれません。

タイミングも方向も自由に選べるという前提に立つと、次の瞬間からフォーカスすること自体に苦労しはじめます。

ですから、人生の選択は限られているという発想を敢えてとれば、自然とフォーカスの労力を下げれるのかもなあと思ったり。

2021.07.12

ゲームのようなUX

PS5やSwitchのゲームを進めながら、そういえばファミコンのボタンって2つだったなと思い出しました。

左に十字キー一つ、右にAボタンとBボタンとシンプルな構造です。

ゲーム画面も平面ですし、ストーリーも1方向です。

それが今や3次元ポリゴンの高画質でロードなく進みますし、オープンワールドもあれば、オンラインでの共同作業もお手のものですから、別の時代のようです。

ファミコンの発売が1983年、スーパーファミコンが1990年、プレステが1994年ですから、40年〜25年前の話で、これをちょっと前と思うか、だいぶ昔と思うかは考え方によります。

ちょうど同じ時期をビジネスでたどれば、バブル前後からオフィスにパソコンが導入され、ネットにつながりはじめてからの今日までなので、あっという間に感じます。

とはいってもその時期には働いていないのですが、短く感じる理由はゲームほどには劇的な変化を感じないためでしょう。

ムーアの法則に代表される半導体の加速度的な成長は、ゲーム内で自分の存在を多彩に表現できるようにしてくれました。

性別も年齢も服装も選べますし、そもそも人間以外の設定も豊富です。

キャラクターにあわせた発言や雰囲気にできるだけでなく、気の合う人も自由に探せます。

会社の運営も、ムーアの法則をダイレクトに受けてはいないのでゲームほど早くは変化しないでしょうが、ゲームのようなUX(ユーザーエクスペリエンス)になるんじゃないかなと想像しています。

一人で作業をしたり、誰かとコラボレーションしたりという点では同じですし、やる気にさせるという面ではゲームの方が進んでいたりします。

ただし、全員に据え置きゲーム機のような複雑なコントローラ操作が必要なのではなく、時と場合に応じてゲームが持つ楽しさや継続性を頼りにしていくことになるかと。

2021.07.06

新しさを発明する

時間とともにモノが古びていく様子はよくわかります。

Tシャツが色褪せてきたり、給湯器が故障して動かなくなったり、プリンタのトナーがかすれてきたり。

ところがモノとは違い、自分たちの考え方そのものが古びているのか、新しくなっているかは判断しづらいものです。

考え方が古いかどうかは、主観的に何を基軸にするかにもかかっているでしょう。

ここでは「効果」の点からだけ古さを測定してみます。

社会人にわかりやすい例として、英会話の学習をとりあげます。

十年以上前まで英会話を習得しようとしたら方法は限られていました。

本で覚える、CDやラジオを聞く、教室に通う、DVDを見る、英語のできる友だちを作るでしょうか。

現在はテクノロジーの普及により、上記以外にYoutubeや海外ニュースサイト、Netflixなど動画サービス、オンライン英会話、発音の判定アプリ、オンライン会議の自動翻訳など比べものにならないぐらい選択肢が増えました。

もし同じ人が同じ時間を学習に投じたとしたら、十年前より現在の選択肢を組み合わせた方が「効果」的に学ぶことができるでしょう。

そういう点では、英会話学習を新しく考える余地が生まれています。

モノは新しさから古さへと連続的につながっているように見えますが、考え方では新しさ自体を発明しないといけない気がしています。

2021.06.30

意外なデータ好き

Mogicの見た目として、ゆるさとか、クリエイティブが表に出やすいので意外かもしれませんが、かなりのデータ好きです。

モットーとしては「目標の数字や計画は持たないけど、結果のデータは確実に蓄積する」です。

データベースに強いエンジニアが大勢いるのも一つの理由かもしれません。

社内にいろいろあるツール類(セールス、マーケティング、プロジェクト、人事、財務など)にログのダッシュボードがあるのはもちろん、定例会議やミスやトラブル、将来予測もスプレッドシートで正規化して何年分も残してあります。

パワーポイントやワード、メールだと昨年同月の今って何してたっけという振り返りに手間がかかりますので、串刺し分析できるようにフォーマット化するのがキモです。

あとは、社内のオンラインチャットと連動して遊ぶ自作ゲームなどもログを取得して、様子を見ています。

リアルタイムにアクティビティをチャットに投稿した方が反応いいかとか、景品あるイベントすると反応が170%アップしたよねとか。

会社ができてからの毎年のフォトギャラリーだったり、月ごとの出来事の記録だったり、過去に実施したレクチャーの記事だったり、取り寄せたスイーツの記録だったりと、アナログっぽいデータも多数あります。

面倒じゃないですか?と言われそうですが、飽きもせずに続けています。

おそらく新しいことにトライすることが好きなので、過去に一度でもやったことをやらないためじゃないかと思っています。

2021.06.21

ドルコスト平均法的な、ブランドサービスの作り方

ごくシンプルな投資手法の一つに、ドルコスト平均法というものがあります。

Wikipediaによれば「株式や投資信託などの金融商品の投資手法の一つ。定額購入法ともいう。金融商品を購入する場合、一度に購入せず、資金を分割して均等額ずつ定期的に継続して投資する。長期投資でリスクを抑制し、安定した収益を得たい場合に使われる手法である。上げ相場でドル・コスト平均法を行うと(最初に一括で購入した場合と比べて)平均購入単価がかえって高くなり、収益を減少させてしまう欠点もある。タイミングを精密に測れないため、値動きの激しい商品で、ハイリターンを目指す投資には向かない。」

例えば、毎月5個ずつ商品を買うのではなく、1万円で買える分だけ手に入れる感じです。

もちろん商品1個あたりの単価が値上がりすれば、1万円で5個買えたものが2個になるかもしれません。

商品が値下がりすれば、逆で1万円で8個手にできます。

1度にまとめて購入するより、購入時期を散らすことでリスク分散させていますから、中長期的にゆるやかなトレンドで上昇しそうなときに使えます。

この考え方をちょっと乱暴に横展開して、自分たちのサービス作りのリソース確保に使ってきました。

あくまで自己資金で少しずつ売上をたてながら、自分たちのブランドサービスをコツコツ育てていく場合に適しているものです。

おおよそクライアントに向けたデザイン制作やプログラム開発は売上に直結しますから組織として最優先のリソース割り当てになります。

しかしながら、少し欲ばって同時に自分たちのブランドサービスも作りたいとしたら、どういう風にリソース配分すればいいものでしょうか?

最初の立ち上げ時期は、ある程度まとまったリソースをブランドサービスに投入できます。

ただし、クライアント案件には受発注の波がありますので、それに比例して「サービスに手をいれたり、入れなかったり」をくり返すようになり、やがて「結果でてないから様子見」という状況で塩漬けになりがちです。

ですから、ここでドルコスト平均法の考え方を適用します。

毎週何個の改善をやるべしといった設定をすると忙しい時に時間がなくなって、精神的に行き詰まります。

本を定期的に買っていたら、忙しい時に積み上げてしまい、その重みに苦しむようなものです。

個数ではなく、余力のある時間にあわせて課題の数や難易度をコントロールしていきます。

最も忙しいときは、ごくわずかだけやります。

時間があるときは普通にやります。

これをずっと続けていくのです。

とにかくやめないことがミソです。

これのデメリットとしては、すべてのメンバの状況(忙しさはもちろん、習熟度、ポテンシャルの開花度、人生のタイミングなど)をつぶさに観察してから課題を決めることになるので、マネジメントコストが大きく増えます。

もしそれさえ圧縮できる手法を開発できれば、これはとても信頼ある方法の一つになっていきます。

2021.06.15

コンピューティングパワーを片手に

とあるスーパーマーケットの専門家に品揃えの秘密を教えてもらったことがあります。

うろ覚えで申し訳ないのですが……よく売れている商品だけを並べるだけじゃダメで、たまにしか売れない商品も揃えておかないと全体の売上(お店への訪問回数、購入数など)が落ちてしまうという話でした。

入口から外周に配置されているのがよく売れる商品で野菜、魚、肉、飲み物、パンなど、逆に売れないけど大切なのが中央にある調味料や缶詰など。

人が作るスーパーマーケットなのに、なんだか生態系のバランスみたいだなと感じた記憶があります。

商品の売上高という一つのモノサシで測れるものじゃなくて、いろんなモノがそれぞれの役割をあちこちで果たして全体が成立しているような。

そんな絶妙なバランスについて身の回りの環境で触れていた仮説があったので引用します。

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家は生態系 ーあなたは20万種の生き物と暮らしている
http://www.hakuyo-sha.co.jp/creature/never-home-alone/

生物多様性の喪失は、人間の免疫系にも「痛み」を与え、機能不全を引き起こすと考えていたのだ。

そのように考える上で、最も直接的な足がかりとなったのは、慢性的な自己免疫疾患は過度に清潔で衛生的な生活と関係があるとする仮説および一連の研究だった。

この「衛生仮説」は、1989年にロンドン大学セントジョージ医学校の疫学者、デイヴィット・ストローンが初めて提唱した。

中略

ハンスキ、ハーテラ、フォン・ヘルツェンは、環境中、家屋内、そして身体に生息する多種多様な生物への曝露が、免疫系の平和維持経路の機能を正常に保つのに何らかの役割を果たしているに違いないと考えた。

そのような曝露の機会がないと、免疫系がIgE抗体を作って反応し、チリダニやチャバネゴキブリやカビの破片、さらには自己の細胞のような、実際には危険ではないさまざまな抗原に対して炎症反応を起こすようになる。

子どもたちが十分に野生動物に曝露していないと、調整経路がその役割を果たしてくれない。

アレルギーや喘息を発症し、その他の諸問題も生じてくるーそんなふうに彼らは考えたのだ。刺激的な仮説だが、その仮説を検証する必要があった。
ーーーーーー

多種多様な生きものに接触する前提で作られてきた体の免疫システムが、よかれと思って清潔にしすぎた環境で逆にバランスを崩してしまうという説です。

本当にそうなのかはこれからも検証が続くとして、それにしても生きもの同士や生きものと環境との関係は複雑で分かりにくいものが多い気がしています。

スケールもナノからメートルまで幅がありますし、時間の流れも違います。

分かりにくいものも、これまでなら単純化して取り扱えるようにしてきました。

しかし年々高まるコンピューティングパワーを片手に、これからは入り組んだものもなぞりながら解読するのが主流になるのでしょう。

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