少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。
2022.03.28
ちょうど今日は10年前に自分たちのサービス「LearnO(ラーノ)」をリリースした日でした。
まだオフィスは8人座るのがやっとの広さながら、すでに琉球大学の附属施設に導入が決まり、華々しくスタートできたと感じていました。
まさにスマートフォンやタブレットが広がりはじめたばかりで、チャンスは至るところにあったからです。
まさか本格的に売れ始めるまでにあれほどの紆余曲折、試行錯誤、艱難辛苦が押し寄せてくるとは思わずに。
馴染みのないBtoBビジネス、知らない教育IT業界、足りない営業力、分からないクライアント事情、整っていないマーケティング手法、そして先の見えない契約までの道のり。
月に1件の問い合わせすら、ありませんでした。
電車のつり革をにぎりしめながら、違うサービスをやるべきか、誰かにシステムを譲るべきかと議論したことを思い出します。
それでも続けられたのは自分たちが作ったものを誇りに思っていて、打開しようとするアイデアと気概が尽きなかったからでしょう。
絶えず誰もやっていない方法を見つけようと頭をひねり、朝に思いついて夕方にプレスリリースを出したことも数知れず。
今でもまだやりたいことは多いのですが、それでも10年目として一区切りつけることができました。
あらゆるタイミングに多くの人の支えがあって、ここまでやってくることができました。
少しでも恩返しできるよう、これからも変わらず精進して良いサービスを目指していきたいと思っています。
LearnO 10周年記念ページは以下のURLより https://learno.jp/learno10th/
2022.03.22
不謹慎な話で20代半ばにはじめて部下ができて思ったのは、なんと面倒なことかということでした。
経験を積んだら、不慣れな人のできてないところばかり目につきます。
あれに気配りがない、これは正確さにかける、それが本質ではないと。
逐一口に出して指摘してみたものの、ほとんどうまく伝わりませんでした。
今では理解していますが、本人の中でまだ言葉を受け止める土台がなくて消化しきれないのです。
そんなことがあり、次第に「本人が気づきを得やすいように仕事を切り出して、後は好きにやってもらう、つまづいたらコメントする」方式に変えていきました。
つまるところ、教える側も学ぶ側もその方が楽だったからです。
この合理的な判断が結果として自発性につながるらしく、以下を引用します。
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〈叱る依存〉がとまらない
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314011884
「できる」ためのサポートをしようとすると、どうしても「ああしなさい」「これはだめ」「このやり方にしなさい」などと、やるべきことややり方を決めてしまいがちです。
それでもある程度までは、知識や技能を身につけることは可能でしょう。
ですがそれでたどり着けるところには大きな限界があります。
一番の問題は「自分で学ぶ」ことができなくなってしまうことです。
中略
すでにご説明したように、人が最も多く学べるのはその人が「冒険モード」の時です。
そして冒険モードでの学びの本質は「やりたい」「欲しい」という欲求をベースとした主体的な学び方にあります。
学ぶということを考える時に、「冒険モード」を守る、邪魔しないという発想がとても重要なのです。
冒険モードになるための鍵は、「自己決定」にあります。
つまり「自分で決めた」「自分がしている」という感覚です。
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自発性は、時にそれぞれのエゴと結びついてチームの方向性をばらけさせてしまうこともあるでしょう。
ですが、長い人生でそれも一つの学びということでいいんじゃないかと。
2022.03.14
ITで最もよく使われる用語に「アップデート」があります。
不具合をなおして新機能を追加したら、プログラムをアップデートします。
文章に手をいれて映像を加工したら、コンテンツを更新します。
今では当たり前になったアップデートですが、CDやDVDが主流だった時代にはパッケージという考え方しかありませんでした。
できあがった作品はパッケージとして固定化され、使う人のもとに届いても変化しません。
パッケージは工場から出荷されると変更がきかないため、作品にどこまでも完璧さや正確さが求められていたように思います。
その頃の学校教育も同じで答えに正確さが求められ、問題そのものも安定して変化することはありませんでした。
パッケージからアップデートへと軸足が移った今、自らへの教育も更新されているだろうかと考えます。
学生の頃に覚えたままの知識、過去にうまくいったやり方、なんとなく予想できた生き方、ありそうな21世紀の社会像。
もし想像と違うことが多いなら、自らをアップデートするタイミングがきているはずです。
2022.03.07
過酷な状況を作るには、締め切りを早めて作業量を増やすだけでいいと言われます。
明日までに1人で100人分の朝ごはんを作ってください、とすればできてしまいます。
量が増えれば自然と労働時間は長くなりますので、ブラックな労働環境に近づきます。
おそらくブラックな労働環境はそれを作りたくてはじめた訳ではないでしょう。
悪い結果もすべては最初に善意ではじめられたというローマ帝国のことわざのように、高い目標を作る気概とそれを短期間にこなそうとした熱意から生まれた、一つの結果だと考えています。
そんな危険があるなら、わざわざ高い目標を掲げなくてもいいじゃないか?という意見が出てきます。
目標を設定しないとどうなるか?
誰も作業をしなくなるんじゃないか、成長が止まってしまうんじゃないか、チームがばらけてしまうんじゃないか、競争に負けてしまうんじゃないか、といった不安が頭をもたげてくるものです。
と、ここまで考えて「目標」の難しさに思い至ります。
目標は作るべきか、どのぐらいの目線の高さか、締め切りは必須なのか、守れなかったら問い詰めるべきか、フェアにするべく罰を設けるべきか、目標をクリアしたら新しい目標を作るべきか、目標らしくない目標もありか、といった課題が押し寄せてきます。
難しくはあるのですが、絶えず「誰のための、何の目標なのか」が抜けないように気を配るしかありません。