少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。
2024.09.26
早いもので、9月は残りを数えるばかり。
来週になるともう10月、ハロウィンの季節。
今年は残り3ヶ月、100日を切って営業日なら66日しかないんです。
気を抜くとすぐお雑煮シーンになりそうだったので、恒例の年末プロジェクトはラストスパートに入りました。
今年はいつもと違い、オリジナルカレンダーの配布をやめてカードゲーム作りに軸足を移し、もう一つの年賀ゲームアプリもやめて誰かの役に立てそうなサービス作りに進路を変えました。
そう決めるまでは良かったのですが、予想通りうまくいかないものです。
そもそもプロジェクトをキックオフできてなかったり、プロトタイプが思ったほど面白くなかったり、すでに予算金額と規模を大きくオーバーしそうだったり。
どれも初めてだから未だゴールの場所が分からず、進むべき道が見えてこず、なすべき役割を決められず。
それでも情け容赦なく時間が過ぎていけば、じんわり背中が汗ばんできて、踏み出す足が遅れはじめ、薄暗い森をあてどなく彷徨(さまよ)うような錯覚に陥っていく。
行き詰まり、無言になり、顔をしかめ、下を向き、天を仰ぐ。
不意にヒンヤリした空気を感じて、夜には足先から凍てついていく予感。
深く分け入るほど、追い詰められていく人たち。
Mogic冬の風物詩、地獄の二大プロジェクトはまだ始まったばかり。
いかなる結末になるのか、僕らもまったく分かりません。
結末は必ずどこかで公開されますので、乞うご期待ください。
【後日追加】
年賀カレンダーの仕上がり:https://branding.mogic.jp/a/14203
年賀アプリの顛末:https://microtech.mogic.jp/a/14226
【過去の風物詩】
カレンダー2024:https://branding.mogic.jp/a/13774
カレンダー2023:https://branding.mogic.jp/a/13685
カレンダー2022:https://branding.mogic.jp/a/13678
カレンダー2021:https://branding.mogic.jp/a/13665
年賀アプリ2024:https://microtech.mogic.jp/a/13795
年賀アプリ2023:https://microtech.mogic.jp/a/13625
年賀アプリ2022:https://microtech.mogic.jp/a/13623
年賀アプリ2021:https://microtech.mogic.jp/a/13619
2024.09.20
四字熟語シリーズで、二つほどピックアップしてみました。
まずは一樹百獲から、もとは
“一年の計は穀を樹うるにごとくはなし。終身の計は人を樹うるにごとくはなし。一樹一獲なるものは穀なり。一樹十獲なる者は木なり。一樹百獲なるものは人なり”
という文章があり、意訳すれば「目先の利益ばかりじゃなく、長い目で人を育てていくことが大事」ということ。
続いて一新紀元の由来は分からないのですが、辞書を引くと高村光太郎・美の日本的起源の例文があり、聖徳太子をもって
“国是は定まり、国運は伸び、わけて文化の一新紀元がかくせられた”
という一文をみれば「古いことが終わり、まったく新しい年のはじまり」と分かります。
唐突ながら、この二つを取り上げたのは現在の足場を示すにふさわしいんじゃないかという直感です。
つまり、今この時期に大きく時代を捉える感覚を変えなきゃいけないんだろうなと。
一つとして日本の人口動態を見れば、2023年は過去最大の84万人減少という話。
減少の内訳としては、出生数は75万8631人で死亡数は159万503人。
たった1年で政令指定都市レベルの人口がなくなったという事実。
これが毎年積み上がるとすれば単純計算で10年で840万人減。
840万人が減った未来、それはどのように見えるものなのか?
これまでの視点から見れば「何もかも不自由のない時代から、いつも何かが足りない時代」と映るでしょうし、10年後の視点から見るなら「手元にあるものから、違う価値を生み出す時代」になるのかと思ったりします。
そう考えを推し進めるなら、冒頭にもどり、一樹百獲が大事となります。
会社で例えると、いい人が採用できないと嘆くより面接にきてくれる人とどうやれば共に伸びていけるかを考える。
人手が足りないと悲観するなら、今いる人を大事にするべくシステム化、構造化、取捨選択することを考える。
そうして何よりこれまでの当たり前に疑問を呈し、新しい価値を生み出す組織をどう作っていくのか、それをじっくり考えたいところです。
2024.09.10
これまで会社やビジネス、仕事を語るにあたり、どうもぼんやりしたところがあるように感じていました。
語るに語りにくいところって何なんだろうなと。
ところが、それをうかがい知るヒントは意外なところにあるものです。
医学関連の本にピンときた箇所があったので引用してみます。
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二つ以上の世界を生きている体 韓医院の人類学
キム テウ(著)、酒井 瞳(訳)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155675
身体で会社に通い、食事をし、映画を観てカフェに行く。
また、自らとは別の身体と共に生きる。
身体同士、表情や会話を交わし感情を伝え合う。
人はそのような身体を知っている。
身体が伝える感覚を知っており、痛みも知っている。
この痛みに対する知が束ねられてできた体系が医療だ。
略
どんな医療でも、身体の全ての状態を完全に説明できるわけではない。
これは、ある医療の限界の問題というよりは、さまざまな背景と側面をもつ身体という存在の問題だ。
略
したがって医療は、健康のための知と行為の体系以上の意味を持つ。
医療は基本的に、「規定」の体系だ。
医療は何を疾病とし何を健康とするかを規定し、その根幹には身体に対する規定がある。
人間の最も基本的な前提である身体が何であるかを示す医療は、まさに人間についての定義でもある。
略
西洋医学が注目する確実な対象たちを調べてみると、西洋医学が身体に対して一貫してもつ観点があらわれてくる。
略
対象は「独立体」なのだ。
ゆえに、それとそれ以外の事柄とのあいだで、分離が可能になる。
略
東アジア医学は、「固定」、「独立した対象」を強調するよりは、「流れ」と「状況」に深い関心を持つ。
韓医学には「通則不痛 不痛則痛」という有名な言葉がある。
通りが良ければ苦痛はなく、悪ければ苦痛があるという意味だ。
流れが順調であれば病はない。
苦しくなく、心地よい体だ。
しかし、流れが悪ければ健康は揺らぎはじめ、疾病に近づく。
韓医学の診断は、流れが悪い状況に対する考察だといえる。
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慣れ親しんでいる西洋医学以外にも、世界には多様な医療観があり、それらは独自に「規定」されている。
であれば、会社やビジネスも似たように「規定の数」だけ多彩な解釈や行動があってもおかしくない。
一緒にはたらく人やクライアントを独立した数字として取り扱う規定もあれば、全体として流れや滞りを見ていく規定もある。
おそらく語りにくさは、異なる規定を超えて伝えようとする難しさ。
もちろんどんな規定に立つかは自由だし、僕らは自分たちが心地よく感じられるように知と行為を好き勝手に体系化する。
そうして気がついたら20年、30年経ってた、となるのがいいですね。
最後に先の引用より少し拝借して書き直しますと
“人間の最も基本的な前提である身体が成し遂げる社会的な活動(仕事)とは、まさに人間についての定義でもある”
2024.09.03
マーケットディレクション、ベーシックエデュケーション、イノベーション&プロデュース。
Mogicには、聞き慣れない部署名がたくさんあります。
これは名前遊びをしてるわけじゃなくて、実体に合わせようとしたらこうなっただけなんです。
ディレクターの機能だけだと自分たちのサービスを展開するにはちょっと物足りなかったのでマーケティングの要素を加えてマーケットディレクション部門となり、専門的な技術は各部門で学ぶけど、チームでのコミュニケーションや個人ごとの性格を見るといった土台(ベーシック)の力は組織を超えて見た方がいいとしてベーシックエデュケーション部門ができました。
過去に例のない試みなので、うまくいく事ばかりじゃありません。
むしろ物議を醸した部門もありました。
そのうちの一つ、名は体を表す、そのまんまの「アグレッシ部」です。
ネタっぽいと思われがちですが、本当に実在してました。
インターン生とプランナーが中心となって、いざ積極果敢に社内をロビー活動する部隊として。
ちょうどその頃(10年前ごろ)は組織化が進んでいたので、部門のタコツボ化を阻止しよう!部門間の垣根を取り払おう!と鼻息が荒かったんですね。
そうした使命を忠実に守り、しばしば他部門にお邪魔しては場をかき乱していました。
ミーティング中にドアを開けて「頼もうっ!」と闖入し、いきなり挑戦状にも似たプレゼンテーションをぶちかます。
「よく聞けよ、お前たち」から始まる、謎めいたマウントフレーズ。
そりゃ、当たり前なんですが、みんな唖然、呆然とするんです。
・・・ぅうむ、違うやり方あったかなあと今さらながら思いますが、たまに笑い話として登場するのでいい経験だった、、、ということにしています。