Mogicはかんがえる

少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。

代表取締役 山根陽一

2025.03.25

内なる感情にチューン・イン

超長期プロジェクトばかりやっていると飽きてしまうので、思いついたらゲリラ戦を仕掛けています。

「さあさあ、みなさん、春といえば突貫工事ですよ!」とかいう、どうしようもない切り出し方。

半日でプレスリリースを出し、1週間でITプロダクトを仕上げ、1ヶ月でオリジナル・ノベルティを作り、マフィンとハンドドリップを求めて近くのカフェにたむろし、昔だったら前の公園で蚊に刺されながら野球して、公園の池で海賊船のラジコンを幽霊船にしそうだったな。

数人で徒党を組んでワアワアとやっているのですが、いつも終わってから疑問に思うことあり。

「あれ、最後はなんでこのカタチになったんだろう?」と。

誰か一人がゴリゴリと進めたわけじゃないのに、誰かが始めれば何かのカタチにまとまっていく不可思議さ。

分野は違うのですが、似たような現象が著名な音楽プロデューサーのエピソードにありました、僭越ながら。

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リック・ルービンの創作術
https://books.jeane.jp/books/thecreativeact/

アート作品は自然に、ひとりでに出来上がってしまうものだ。

ベースになるアイデアがどこから生まれて、個々の要素がどのようにつながってこんな傑作ができたのか不思議に思うだろう。

しかし、それがなぜ、どのようにして起きるのかは誰にもわからない。

作った本人でさえわからないということも多い。

私たちはわからないことだらけのミステリアスな世界に生きてる。

そして、いつもそれを憶測で説明している。

わけがわからない状態を抜け出すためには、人間の経験とは複雑なものであるという事実を受け入れることだ。
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傑作かどうかは置いといて、誰かの言葉が感性にひっかかり、そこに少しずつ持ち寄ったアイデアが重なっていく心地よさ。

計画してないし、予想してないし、どこに着地するか分からない。

残り時間は少なく、方向がさだまらず、スタートすら危ぶまれる。

ヒリヒリした状況だから、とんでもないアイデアがこぼれてくる。

そのフレーズを何度か口ずさめば、ナチュラルに組みあがっていく。

日常生活、いつものビジネスの現場だとなかなか味わえない開放感。

純粋経験、みんながその場を楽しんでいる感じ。

言いあらわせない、このくれなずむ感情。

だったらとまた引用に頼って、最後のまとめさながらに。

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子供のころ、自分の感情を理解してそれを最優先させろと教えられた人はそれほど多くないだろう。

たいていの場合、教育システムが私たちに要求するのは自分の感情を気にすることではなく、従順になること。

私たちの自然な独立心は手なづけられて、自由な発想は抑制される。

私たちにはさまざまなルールや期待が押しつけられるが、自分や自分の可能性を追求することはその中に含まれていない。

私たちの目的は、私たちを取り巻く世界に対する理解を大切にして、それを発展させていくことにある。

自己認識とは、自分が何を考え、どう感じているかにチューン・インする能力を持つこと、それをどれくらい邪魔されずに感じることができるかということだ。

自己認識を拡大して、洗練させる能力を発達させることが、自分を表現した作品づくりの鍵になる。
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2025.03.19

受け継がれる仕事の流儀かな

社会人になってから、よく自分がこなした仕事を記録していました。

といっても仕事内容というより、自分を経由した仕事が人から人へとどう手渡されるか、それが組織でどう回遊するのかということに興味があってデータとして残していたんです。

3月1日10時10分 プロジェクトの作業についてAさんにメールで依頼を出す → 3月1日10時30分 Aさんからテーブルで話したいと返信がくる → 3月1日 13時10分 テーブルで詳細を話して納得してもった → 3月1日15時 プロジェクトの定例会議でAさんから説明してもらう → ・・・・・・ → 5月15日 サービスのリリース完了といった感じ。

当時は時間に余裕があったんでしょうね。

しばらく続けていると、いろんなことが見えてくるようになりました。

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仕事は人と人の間を移動するときに間違いやすく、滞留しやすい。

早めにやる人はいつも早く、締め切りギリギリの人はいつもギリギリ。

メールを出すタイミングが数時間ズレるだけで、全体の流れが数日ズレることがある。

万が一の確認をしなかったり、早めのタイミングじゃないと終盤で抜けもれの連鎖で恐ろしいトラブルが出てしまう、とか。
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やがて、もっと根本的なことに気づくことになります。

今思えば当たり前のことなんですが、その時まで仕事の定義をこう思っていました。

仕事とは「自分に任された作業をキチンと期待通りにやるもの」。

そうです、気がついたのは“自分の仕事だけ”見てても本当は仕事にならないんじゃないかということです。

全員の仕事を見れば見るほど、自分のところをいくら最適化したって誤差の範囲を出ないからです。

それよりは遠くまでバトンをつなぐ人たちのことを考えて全体がうまくいった方がいいんじゃないかなと。

いつまでも自分を中心に据えてばかりじゃいけないんだろうなと。

(ここらへんからもタスクリスト嫌い、個人目標嫌いが強化されています)

全体が滞ってくれば大きな成果は出ませんし、終いには自分の仕事が増えることだってあります。

あまり根拠はなかったものの、直感的にそう感じてから自分以外のことに気を配るようになりました。

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自分が取り組んでいる作業に次の人が役立つものを入れてみる。

2つ先、3つ先、分岐して終盤に効いてくる仕掛けをからませる。

配慮したものがどういう意味を持ったのか、丁寧に事実を確認する。

社内だけじゃなく社外を含めた関係者すべての仕事を頭に入れおく。

誰かが相手を困らせる依頼をしているなら、少しフォローしてみる。

自分に関係ないパートだけど、進行が怪しそうなら話しかけてみる。
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本当に余計なお節介なんですけれど、それを続けていたら自然とトラブルが減り、スムーズに流れるようになりました。

カンを頼りに始めたので、今でもこれでいいのかよく分かっていません。

たまに「無自覚な新人にうまくいく仕事ばかり渡していいのか」という意見があるからです。

けれど、こういうお節介スタイルが今ではMogicらしさとして受け継がれているのですから、気分はまんざらでもないのです。

2025.03.11

桃栗3年、柿8年という体感

桃栗3年、柿8年とはよくいったもので、ごく小さな種から芽が出て根を張り花が咲いて実をつけるまでたっぷりと時間がかかります。

そう、3年というのはこのスピーディなご時世になんとも想像のつかない「古めかしい単位」に見えることでしょう。

IT企業なら3ヶ月もしくは1ヶ月単位でPDCA(Plan /Do /Check /Action)を回す、そんなイメージがあるかもしれませんが、Mogicではこの3年という単位を素知らぬ顔でよく使っています。

新しいことを勢いよくバタバタとはじめるも、半年や1年ぐらいでは微塵も振り返らず、2年経っても我慢して、3年過ぎてからようやく品定めする。

ただ、その3年すら最初の一歩目としか見ていない。

3年を5ターンほどつなげた15年目に向かってきちんとつながっているか、いろんな角度から思案してみる。

こう書いてるとなんとも気長すぎて大丈夫かなと思えますが、この間尺にはなんとなく数字的な裏付けが存在しています。

端折りながら、ちょっと長くなりますがおつきあいください。

はじめに3年後を評価するとして1日に積み上げるべき量を試算する。

話を簡単にするため、一次式の積算としています。

365日×3年=1095日、1095日を100ポイントとするなら1日あたり0.09ポイントほど足していけばいい。

もし半年後での評価なら、1年365日の半分182日が100ポイントとなり、1日あたり0.5ポイントを加えることになる。

プロジェクトが順調にいくなら、積み上げるポイントの差はそこまで大きくないように見えます。

ですがもし、最初の60日目までうまく進まないプロジェクトが多いとするならどうでしょうか?

序盤に進みが遅いなら、残りの日数でどのぐらいの強度でビハインドを追いかけないといけないのでしょうか?

最初の60日に1日あたり半分の成果しか出せないとすると、半年プロジェクトなら(0.5÷2)×60日=15ポイントの進捗となり、残り85ポイントを182日 - 60日=122日でこなさねばならず1日あたり0.7ポイントに上昇します。

3年プロジェクトなら(0.09÷2)×60日=2.7ポイントの進捗で残り97.3を1095日 - 60日=1035日でこなすとすれば、ほぼ変わらず0.09ポイントのままで済みます。

やや面倒な数字を連ねましたが、つまるところ3年単位でみた方が「プロジェクトの最初で発生しがちな停滞バイアス」を消すことができて、ビジネスや仕事の社会的な価値をより純粋に見定められるのではないかと考えているのです。

複数人でプロジェクトをするなら、当初はコミュニケーションが手探りで、課題への理解がまちまちで、これまでの経験もバラバラで、やる気もあったりなかったりする。

個人でも似たようなもので、最初に思ったほど楽しくなくて、壁に突き当たって止めてしまって、制約がないからつい先延ばしにして、違うものに手を出したりする。

そういうものを差し引いて、3年ほど続けられるのであれば一つの意味が定まってくるはず。

と、ここで具体例を出してみます。

Mogicが3年前にリリースしたものを沿革より抜き出しますと

2022年4月 授業支援システムPhollyが業界最安値帯で提供開始リリース
2022年4月 フレックス制度を導入
2022年9月 情報セキュリティの国際規格ISMS認証を取得リリース
2022年11月 eラーニングシステムLearnOが10周年記念で管理画面のリブランディングリリース

これらが今日までどういう風に進化してきたかと思い巡らせば、うん、7割がいい感じで、3割が改善必要。

だから、“これらの方向性には社会的に意味がある”とすることができる。

なんて考えています。

まあ、そうはいってもこういう一般的じゃないモノサシを導入するのはいいことばかりではありません。

それはそれでネガティブなインパクトにも気を配らねばならないのです。

その一つが、1日に割り振れる認知量というリソース問題です。

これも少し簡単な計算で表現してみます。

1人の人間が使える認知量を100%とする。

この認知量を超えると「つかれた〜」といいはじめて翌日以降のパフォーマンスが低下する閾値。

もし半年後に評価されるプロジェクトを進めるにあたり、1人が1日あたり使う認知量を20%とする。

半年で結果出すとなると、リソースを多めに投下するからです。

となると、1人が切り盛りできる最大プロジェクト数は100%÷20%=5個の並列稼働。

これが3年後に評価されるプロジェクトなら1日にかける認知量は、半年後のプロジェクトの成果量との比較から割り戻して、(1プロジェクトあたり20%)×0.09ポイント÷0.5ポイント=3.6%ぐらい。

だから、100%÷3.6%=最大28個のプロジェクトを並列稼働できる計算。

ただし、同時に動かすプロジェクト数に比例して素早く切り替えるために追加の認知量を求められるのでそこまで多くのプロジェクトを並列化できず、むしろマネジメントの仕組みや技量が高く求められる。

そうですね、結局のところ「数の少ないプロジェクトに多めの認知量を充填させるのか、膨大なプロジェクトにわずかの認知量をうまく分散させるのか」という問題に変換されてきます。

どちらを選ぶのが最適か?

そう問いかけるなら、やっぱり判断軸ははたらく人たちが何を望むか。

彼らがずっとのんびりとマイペースに暮らしていきたいと望むのなら、長期において全体の負荷量とそのブレ幅を予測してうまく平準化させる方法が最適のはず。

なので、少量の認知量での多重切り替えという負荷リスクは理解しながらも3年間という最低単位でたくさんの薄いプロジェクトを同時に稼働させてるんですよね。

なかなかそういう背景は入り組んでいて話しづらいから「Mogicにいると、なんだか違う感じで頭がフル回転してつかれます」と言われても説明しにくかったり。

だからじゃないですけど、分かりやすいモチーフとして”たっぷり手間と暇がかかる果物”を取り寄せてみんなでワイワイと味わっているんですけど、でもなあ、あれじゃなあ、どうにもこうにも100%口下手すぎるよなあ。

2025.03.05

山盛りの仕事を大局観で見る

忘れた頃に灰雪が積もり、街角に卒業の看板が並んで、東から鰆を呼ぶ風が吹いてくるなら、ここぞとばかりに年度末のやるべき仕事が重なり、ゆっくり見る間もなく花びらが舞い散るとしても、すぐに遠くから艶やかな黒い燕たちがやってきて、するりと滑るように新しい年度が始まっていく。

3月4月、何かと慌ただしい時節になりました。

こんな時は好むと好まざるとに関わらず、さんざんと仕事が降ってくるものです。

はぁ、ふぅ、ひぃと弱音を吐いてみるもののどうにもなりません。

とりあえずここは一つ、頑張っていこう、踏ん張っていこう!と口に出してみるものの、なんだか性に合いませんから、それはやめて勇猛果敢に手を抜いていくことにしました。

「え、手を抜くとこ?ここはもっと馬力あげてくんじゃないの」

そういう声もあるでしょう。

ですが、言い訳まじりに「手抜き」の語源を見ればあながちズレてはいないんです。

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手抜き
https://w.wiki/DHVo

手抜き(てぬき)とは、囲碁や将棋において、直前の着手に対して応接せずに、離れた場所に着手すること。

一般に、戦いの最中や、大きな欠陥を残すような場面で手を抜くのはよくない。

しかし手を抜いても大きな損害が出ないような場合なら、思い切って手を抜き、大場に先着するのも重要な戦法である。

また、完全に形を決めてしまわず、後に味や含みを残しておくために手を抜くこともある。
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大事なことは、「手を抜いても大きな損害がでない場合」という前提条件。

結局は山盛りの仕事を大局観で見るなら重心の見極めこそ大切で、それを見誤ると大損害となり、うまくいくと大成功になる。

判断を間違うと相当不利になるハイリスク・ハイリターンという情勢。

こう考えなおすとなぜか俄然やる気が出てくるもので、起業家とは因果で厄介で回りくどい職業なんです。

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