少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。
2024.12.24
ふとした折に「受託開発 or コンサルティングをやってるんですが、自社サービスを立ち上げたくて」と話しかけられることがあります。
このトピックは今も昔もあちこちでよく議論されていて、さまざまな見解があってしばしば白熱するものです。
ですから、まずは丁寧に背景をひも解かねばと思って「なぜ立ち上げたいんですか?」と聞いています。
「数社の大型案件に依存するとリスクが大きい」
「自分たちのブランドで自由にやってみたい」
「過去の開発案件で培ったノウハウを活かしたい」
「人数に依存せずスケールして利益を上げられそう」
「社員に能動的に活躍してもらいたい」
「キャッシュフローを安定させたい」
と意外にも理由はバラけているもの。
となれば、「自社サービスの立ち上げに何が足りないと思います?」と続けます。
「サービスの勘所をつかめる人がいない」
「エンジニアはいるけど、デザイナーがいない」
「アイデアはあるけど、リソースを確保できるか微妙」
「ウェブ広告やマーケティングのノウハウがない」
「どれだけ資金と時間がかかるか不安」
「専属でやれる営業担当がいない」
という課題があがってくるのであれば「あくまで個人的な見解なんですが、、、」と前置きして、少しズレた受け答えをしています。
「うちらはタイミングとサービス精神、それを大切にしてるかなあ」
「え、そうなの?」といわれたら「そうですね、お金もスキルもリソースもなんとか工面して挽回したりできそうだけど参入すべきタイミングは一度逃すと取り返しがつかないし、サービス精神、つまりは相手を喜ばせたい、期待以上のものを届けたいという気持ちは根本的にかけがえがないものだし、ダイレクトに顧客と接しないサービスなら組織自体にサービス精神の文化がないと良さが伝わりきらないだろうし、なんだか自分の費用対効果ばかり気にする人じゃ作り続けられないだろうから」といった感じです。
そうはいっても慎重すぎて待ちぼうけでも良くないし、サービス精神を発揮しすぎて疲弊するのもおかしいからバランスが大切になってきて、数字的な裏付けがなく論理的な組み立てじゃなくて、ホント、単なる精神論なんですが、直感的にそう感じてしまうのです。
2024.12.16
ちょうど15年前の今日、会社を設立しました。
最初は一人の会社だったので、家族がイタリアンのレストランで祝ってくれたことを思い出します。
そして15年目、今回は韓国料理のキッチンカーにきてもらいました。
プルコギ丼、牛バラビビンパ、高菜明太ビビンパ、トッポギ、クロッフル、ハットク、タピオカミルクティーなどなど。
みんなが楽しみに出社しているみたいで、それが一番です。
思えば今のオフィスに引っ越したのが10年前。
3Fと4Fだけ借りていて、すぐに1Fと2Fが開いたので改装工事。
勢いあまって初夏の屋上でコロッケとビールで地域の方と盛大にパーティ。
かれこれいろんなことがありましたが、端的にまとめると会社を作って良かったなあと思っています。
2024.12.10
4ヶ月に1度ほど、会社の社内規程を外部の専門家の方と見直しています。
このぐらいがちょうど良くて、介護や育児の情報をアップデートしたり、これまでの条項で曖昧な部分を書き換えたり、みんなから寄せられた意見を反映したりします。
全部で20本近くあるのですが、一番メインの就業規則は改訂に改訂を重ねて第95条まで達しました。
さすがに全部を見切れる人はいないとしても、ここまで書き込みつづけると各部門の責任者が判断する際に辞書代わりとなります。
結果、代表のところまで相談がこなくなる。
うん、いいことです。
そういう点でも4ヶ月に1度、執行役員とともに見返すというのは投資に見合っているのです。
ちなみに厚生労働省のサイトにモデル就業規則というものがあり、「ああ、その視点もあったか」と勉強になります。
2024.12.02
不思議に思われますが、Mogicには会社としてのプレゼン資料がありません。
こうやるぞ!そんな目標だ!あんなロードマップさ、なんて宣言はありません。
よく「そんなんで組織まとまるね」と言われますが、どこ吹く風です。
「もう15年もやってきたんだから、さすがにいいでしょ、大丈夫ですよ」と答えています。
なんだか企業としたら一般的じゃないんだろうなと思ってたら、デザインや建築分野に近しい手法があるらしく、引っ張ってきました。
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スマートシティとキノコとブッダ
人間中心「ではない」デザインの思考法
中西泰人(著)、 本江正茂 (著)、 石川初(著)
https://bnn.co.jp/products/9784802513081
「いまあるモノで何か作ろうか?」
お腹を空かして家に帰って、お母さんからそんなふうに声をかけられたことはありませんか?
そう言ってお母さんが作ってくれたモノは、冷蔵庫にあるものを使って作る「ありあわあせ」の料理でしょう。
それは、味はいつもの味付けでホッとするけど、明確な名前があるようなものではないモノ。
材料からその使い道を考えた創作料理であるそれは、時にはナゾの料理かもしれません。
そうした料理のプロセスは「これを使って何かできないか?」と思い巡らしながら他の食材を眺め、新しい組み合わせを考えて素材の可能性を引き出すようなプロセスです。
略
それは新しい技術や素材の応用先を「ボトムアップ」に探していく「シーズ志向」のデザインプロセスに近いものです。
それとは対照的なのは、週末だけ料理を作るお父さんがやりがちなプロセスで、本に書かれた料理の「設計図」としてのレシピを実現すべく、それに従ってスーパーに行って材料を買い出しに行くところから始めるような料理です。
すでに誰かが設計してくれた美味しい料理を目指して、材料をきっちり揃え、手順通りに作る。
それはゴールを先に決めてそれを実現する手段を考えていくような「トップダウン」「ニーズ志向」のデザインプロセスに近いものです。
お母さんが作るような、手元にある材料を寄せ集めて即興で作られたありあわせの料理は、その味や食感に思わぬ驚きがあったり、その逆に、なんとも言えないメニューだったりするかもしれません。
この、手元のものを集めてどうやって新しいものを作るかを試しながら作り出すプロセスは、「ブリコラージュ(bricolage:器用仕事)」とも呼ばれます。
略
そうした工夫は、「頓知」や「機知」、「ウィット」や「エスプリ」といった単語が近い意味をもっています。
これらの言葉は、その場に応じて即興的にユーモアを含んだ知的なことを言ったり、何とかその場を切り抜ける咄嗟の判断などを表しています。
ブリコラージュはフランス語で、「繕う(つくろう)」や「ごまかす」を意味する「bricoler」という単語に由来していますが、それはちょっとしたウソをついて何とか事態を切り抜けるような雰囲気を含んでいるそうです。
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いいですね、ありあわせ、ありあわせで作る会社。
ない、ないというより、身の回りのもので取り繕う会社。
そうしてなにより困ったらウソはつかないけど、なんとか切り抜けようとごまかしニンマリする人たち。
別にそんなもんなんじゃないのかいと、今日は朝から大掃除です。