『自分たちの好きなように会社を作っていけばいい。
他と違ってても、普通じゃなくても、信じられることをやっていく。
信じられること、それって案外と少ないものですから
そう、本当に愚直に、率直に、真摯にそれを探してきたんです』
2022.05.23
ダ・ヴィンチのモナリザは、肌の透明感がすごいと聞いたことがあります。
普通の制作工程では考えられないほど、とても薄く透明に近い膜がいくつも重ねられているようです。
乾かぬ間に塗ってしまえば下の層と混ざり合いますから、数ヶ月待ってまた塗るという気の遠くなるような手間暇が透けてみえます。
塗って、待って、眺めて、考えて、また塗る。
最初に塗り始めて、絶えず変化する考え方を重ねていきますから、思考の変遷も相当なものだったんだろうなと。
こんなに長くかけることはできませんが、1つのプロジェクトの最初と最後で考えがどのように変わっていったかを記録することがあります。
最初の気持ち、途中の感じ方、到達した考え、後に振り返ったときに見えるもの。
自分にとって良い変わり方と悪い変わり方があって、無意識でぼやけていた限界がきれいに透けてみえるようになったら万事OKです。
2022.05.16
週末に小型ヨットの講習に行って久々に長いこと固いデッキや椅子に座ったせいか、腰がカチコチになりました。
あわせて覚える用語やするべき動作が多いので、頭もパンパンです。
そもそもヨットには二つの帆があり、それに連動したシート(ロープ)を加減し、片手で舵(ティラー)を操ります。
天気は刻一刻と変わり、風は小刻みに振れて、いく先の波を感じ取らねばなりません。
自分が操作すると要素が多くてうまく変化できず、流れに乗り切れないことばかり。
少し慣れてきて、ふとした瞬間にうまくはまると風に乗ったようで楽しくなってきます。
これが動力で進む船にはない、自然との一体感なんでしょう。
そうしてやっぱり、手探りで感じて変化していくところが起業と似ているんだなあと思います。
クライアントのかすかな声、新しい市場のまたたき、消え入りそうなお金、必死にくらいつく努力。
あれもこれも上手に反応しなきゃいけないと思っても、大概はうまくいきません。
ひたすら感じるままに風に乗れる瞬間を求めていくしかないのです。
数年前に子会社を作りはじめたのは、一緒に働くメンバーにそういう経験をしてほしいと考えたからでした。
遠くから眺めていたり、誰かが操縦している船に乗っても味わえない感覚。
今も自分たちの小さなヨットで漕ぎ出して、あらゆることに合わせようとしてもがいています。
雨が強くても波が高くても前を向いていますから、いつの日かうまく風をとらえてくれることでしょう。
2022.05.09
社会人になってから、本の読み方に少しばかり変遷があります。
最初は何も分からないので入門書を手に取ります。
慣れてきたら1つの分野を網羅的に理解したいという気持ちから、アーカイブ型読書になりました。
アーカイブ型読書というのは1つの分野の書籍をあれこれ読み漁ることなのですが、ちょっとだけ工夫があります。
1つの分野でも書店の棚には100冊以上ありますから、全部を読むのは得策ではありません。
ということから全体の知識量の80%でいいから、最短距離で学ぶにはどうしたらいいだろうと考えます。
気づかれた方もいるように、パレートの法則というのを使います。
全体の20%の事柄で80%の結果を表現できるというものです。
100冊のうち20冊で80%の知識は得られるんじゃないかと読み始めて、1冊のうち20%の部分で80%の言いたいことが分かるんじゃないか、専門用語の20%を覚えれば全体の80%を説明できるんじゃないかと、入れ子状にどんどん省略化していきます。
それでも限界がありますから、適度に圧縮して全体像を把握してから誰かに話を聞いていました。
やがてこの方法はアーカイブそのものが持つ古さを拭えなくなります。
次に考えたのがストリーミング型読書です。
アーカイブとは違い、今週書評された本、先週知人友人がいいよといった本、今日気になった雑誌だけに目を通します。
今という旬の感覚を、言葉に書いてある以上の雰囲気で察してみるというものでした。
ただし、ここ数年はこれにも限界を感じることが増えました。
原因を考えてみたところ、本というメディアの生産工程に一因があるんじゃないかと思っています。
著者がアイデアを思いついて出版社の編集者と議論するのに半年、そこから書き始めて半年から数年、さらに印刷して流通にのるまで半年、つまり最短でも1.5年、長いと数年。
かつては本が流通するまで、そこに含まれる情報が先に出ていくことは少なかったと思います。
しかしネットが発達するにつれ、関連する情報の一部は簡単に流通するようになりました。
著者が思いついてから1.5年後に受け取る完成度の高い文章群と、著者が思いついたころにあちこちで発信される断片的で粗いメッセージ。
その2つが競争している感じがして、また新しい方法を編み出さないといけないようです。
2022.05.02
感覚的な話なのですが、大きく時代の断層が見えている気がします。
数学のABC予想問題における意見の相違と、物理学のAdS/CFT対応からの議論の発展は生身のヒトとして理解しづらいものがあります。
ありえないものを同時に重ね合わせるということが大事なテーマになってきて、僕らはどうすべきかと議論しています。
2022.04.25
ゴールデンウィーク前の朝は大いそがし。
残念ながら枯れてしまった植物の土を黒いビニールにいれて屋上で消毒しつつ、夏に展開する移動式コーヒースタンドの木材をマホガニー色のワックスで塗装しながら、梅雨ごろにみんなを驚かせるための電動人形の型紙を制作したりと、下準備に余念がありません。
昨年まではみんなが出社する1時間ほど前に希望者と一緒に作業していたのですが、先週からフレックス制が導入されてどうにもやりにくくなりました。
ワアワアガサゴソしてる人たちに、カタカタカツーンとキーボードをたたく人たち。もちろんどちらも会社の役に立つことなのですが、あまりに毛色が違います。
とはいっても気にする人はいなかったんだと思い直して、好きなだけ作業を進めていきます。
2022.04.18
一からITシステムを作ると聞けば、難しく感じてしまいます。
CSSにHTML、プログラムにサーバと専門用語がたくさん出てきます。
本屋で立ち読みしても、ウェブで検索しても分からないことだらけ。
せっかくあれやりたい!と思っても、実現するまでに障害が多すぎて挫折しかねないのが実情です。
本来は、オープンソースで自由になんでも作れるのがウリなのに。
そんな雰囲気は良くないなと思って、インターン生を含めた若手のチームに1日とか1週間、1ヶ月でアプリを作ってもらっています。
ぬいぐるみを作りたいと思って、布を切り、ミシンをかけて、ボタンをつけるぐらいの感覚が理想です。
あの子が寝る前に1日の出来事を話す存在になるといいなとか、「届けたい気持ち」がきちんと乗っていれば、不格好でも荒削りでもおかまいなし。
技術をマスターするばかりで気持ちがどこかにいってしまっては楽しくなくなります。
そうして作られたアプリは、MicroTechとしてサイトに掲載されています。
見え隠れする彼らの苦闘を時間のある時にご覧ください。
MicroTechサイト:http://microtech.mogic.jp/
2022.04.11
プロジェクトをキックオフして、メンバーが盛り上がってないなあ、エンジンがかかってないんだよなと思うとき、目の前にスイーツの取り寄せをぶらさげます。
「予定通り、この日にリリースできたら極上のいちご大福が届いちゃったりするんだろうなあ」と。
仕事ですし、コンディションは自分でなんとかすべきという意見もありますが、こっちの方がプロジェクトの展開がドラマチックになって面白そうというのが本当の理由だったりします。
食欲に素直な人ばかりなので、目をキラキラさせて食いついてきます。
そうこうしてプロジェクトが進み、中盤にさしかかると一つ、二つとヤマがやってきます。
進行が遅れていたり、仕様に迷ったり、連携がうまくいってなかったり。
「ああ、まずい。もういちごの姿が霞んできた気がする。この遅れは取り戻せないんじゃないかな」
というと
「そんなことはありません! やれないことはないんです」
と強情につっぱねて、チームで話し合いをはじめます。
こちらから「がんばろうよ。あきらめずにさ」といわずとも。
もはや自分の食欲のためなのか、チームのみんなのためなのかは定かではありません。
はじまりは不真面目な欲ですが、気がついたら起承転結のドラマみたく、自分たちだけで乗り越えていきますから不思議なものです。
2022.04.04
年に1回は、石神井の店舗や事業所にグッズを配りにいきます。
知り合いのところばかりでは面白くありませんから、今まで接したこともない所に入って話しかけます。
「すみませーん、石神井でIT企業やってまして同じ地元ということでオリジナルグッズを配ってるんですが、いかがでしょうかー」
もちろんお店にいらっしゃる方の邪魔にならないように。
その様子をみて若手はちょっと引きぎみになります。
「本当に話しかけるんですね・・・・・・」といってくるので
「だって、話しかけるのはタダじゃん」と返します。
「あと自分から用もないのに話かける人っていないから敢えてやってるところもあって、実際ビジネスの立ち上げも似たようなもんなんだよ」と付け加えます。
誰かにやれといわれなくとも、自分が起点になってスタートさせて巻き込んで楽しんでいく。
余計にはみ出した一歩がなんともいえない気持ちにさせるなら、それはやってみる価値があります。