Mogicはかんがえる

少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。

代表取締役 山根陽一

2020.06.11

がらんとした部屋に

リモートワークになってから、がらんとして誰もいない会議室や執務室。

そろそろメンバが出社してきそうな気配もあり、その前に部屋ごとのコンセプトを作り直すことにしました。

空き部屋が7つもありますので、やりがいがあります。

よどんだ空気を入れ替えながら、一つ一つ足し込むものを考えていきます。

ダークウォルナット床の部屋は、これまでもブラウンのテーブルと本棚、黒のミシンとトルソーがあったので、それに乗っかるように線のきれいな猫の銅版画を飾ることにしました。

新しいコンセプトは「モノづくり好きが集うカフェ」。

グリーンとブルーのタイルカーペットの部屋は、四方に背の高い植物やつる植物を並べ、真ん中の白い丸テーブルに金の王冠をかぶったカエルの置物を並べました。

コンセプトは「目に見えない価値を教えてくれる、カエルの王様(グリム童話を参照)の部屋」。などなど。

オフィス再開にあわせて、いちいち部屋のコンセプトを作り込むなんて意味がないかもしれません。

ただ部屋を開けた時の驚きや発見は、いつか自分たちが作るサービスにつながっていくんじゃないか、なんて。

大変な社会情勢だからこそ、消えてしまいそうな遊び心を大切に運んでいます。

2020.05.18

筆ペンに持ちかえて

その昔、10年ほど書道とペン字を習っていたことがあって、今では筆ペンとカリグラフィのペンに持ちかえて、休みの朝につらつらと文章を書いたりします。

筆と硯を出すには気合が足りず、ただカリカリとペンで書くだけでは退屈なのでちょっとずらして、そのスタイルに落ち着きました。

日頃パソコンを使っているのになぜいまさら手で書くのですか?と言われそうなので、その理由を書いておくと「心地いいから」に尽きます。

デジタルのタイピングのようにスピーディでもなく、正確でもなく、一度きりでどんどん古びてしまうのに、文字を書いている時間は快適です。

サラサラと筆がかすれる音とともに、いろいろなことが浮かんでは消えていきます。

どこから書くと文章のおさまりがいいのか?漢字とひらがなの大きさのバランスはどうしたらいいか?このスピードだとにじむんじゃないか

この漢字は岩山のようにでっぱった方がいい、このひらがなは流れる水のように、前にこのあたりで失敗したかもしれないなとか。

書いたものを後から見てみると、やけに前のめりに詰まっていたり、軸がずれていたりして何だか恥ずかしくなります。

おそらくもっとうまく書けると思っていた自分の思い込みが打ちのめされるからでしょう。

同じ文章を書くということなのに、デジタルで文字を打ち込むことと、筆を握ることは明らかに意味が違うようです。

どちらがいいということはなく、手を替え品を替え、じっくり見てみることが大事なのかなと。

2020.04.14

自給自足の塩梅

生きていく上で、どのぐらい社会や自然と連動性を高めるかというのは一つの選択です。

極端にいえば、無人島にこもってすべてを賄えば社会との連動性はほとんどなく、自然との連動性が最大化されています。

つまり、他人の行動が直接自分に影響を与えるわけではありませんが(間接的に国際法における管理や大気汚染などの影響はありえます)、風や雨、植物の発育などに大きく左右されます。

またYoutubeで動画配信を行い、生計を立てている場合に、他のYoutuberと視聴者、広告主との連動性が相当高まっているといえます。

現代を生きるものにとって、連動させるものは数多く存在し、一度選べば終生通用するものでもありません。

投資信託を購入すれば、株式債権市場という世界経済に強く連動することでしょうし、日本に住めば日本政府の指針に影響を受けることでしょう。

フリーランスという職業を選択してもフリーではなく、発注される仕事の量と密接に関わっています。

スマホを1日中使えば、データを蓄積する側の影響は避けられません。

一方で連動性を意識しすぎずに、意図的に下げるという方法もあります。

自給自足と呼ばれるもので、自分たちの手に負えるものを増やそうという考えです。

経済の視点でみれば自給自足は地域経済に近しく、高い連動性はグローバリゼーションに強く現れます。

身近なことでいえば、自分たちでやれることとお金を払って他人にやってもらうことの違いです。

知らずに拡大しつづける連動性を横に置き、自分たちでできることを見直すことは悪いことではありません。

2020.03.18

ざわざわ感、求む

コロナウイルス感染へのリスクを考慮し、一部のメンバがリモートワーク(在宅での仕事)をしています。

リモートワークを開始して1ヶ月ほど経ったので、今一番何が求められているかヒアリングしてみると「ざわざわ感が欲しい」という予想どおりのような、予想外の意見でした。

そもそもリモートワークを開始する時に3つの軸で準備を進めてきました。

1つ目が物理的な環境の整備、2つ目が業務フローの再設計、3つ目がメンタルのケアです。

その時に1ヶ月後にどうなるかをメンバで予想していて、それが物理的な環境の整備はほぼクリアされていて、業務フローで何か課題が残り、メンタルは落ち込みがちになるのではないかというものでした。

結果は予想の延長線上にありましたが、よりメンタル面で繊細かつ複雑に思いを巡らせないとダメだということに気が付きました。

ただ先行きが不安で落ち込んでいるというものではなく、経済状況や海外事情というマクロへの漠然とした不安に加え、自分自身が心地よく仕事をしながら成長していく上での「何か」が欠落しはじめ、求めているように感じました。

そのためか、リモートワークのメンバは自然と自分のスタイルに工夫を加え始めています。

朝から着付けをして着物でパソコンに向かってみたり、昼ごはんに土鍋で鯛めしを作ってみたり、幼い子どもを背負いながら考えごとをしてみたりと。

ただそれでは埋まらないので漠然と「ざわざわ感、求む」という表現になっている気がします。

ざわざわ感にはいろいろな意味合いが含まれているようで、先輩の作業をちょっと見て真似したいとか、新しいプロジェクトの議論を盗み聞きしたいとか、自分個人のネタを少し披露したいとか、突発的なケーキ作りのイベントにちょっと参加したいとか

このあたりの曖昧なものに働く喜びや成長していく糧、新しいアイデアを生み出すヒントがあるみたいなので、もう少し話し合ってみようと思います。

2020.02.13

本当は誰と競争しているのだろう

資本主義は競争、会社経営も競争、人生も競争かもしれません。

何かを目指して、誰かと切磋琢磨し、強みを出して弱みを消しこむのが競争で、もしかしたら自分自身と戦うこともあるでしょう。

競争について少し掘り下げて、戦略のあり方を書いてみたいと思います。

競争の骨格を抜き出すと「共通のルールの下で複数のプレイヤーがゴールを目指して優劣を決める」となり、資格試験が最もわかりやすい例として挙げられます。

科目や日時など試験の条件が複数プレイヤーに公平に周知され、当日のテストで獲得した点数により合格や不合格が決まります。

ルールも明確で、ゴールも明確なのが特徴です。

しかし、ここには隠れた前提条件があり、それをいじると競争に違った側面が見えてきます。

それは事前にルールを決め、ゴールの後に裁定している誰かの存在をなくすか、変更してしまう時です。

資格試験でいえば、試験内容や合否を決めている組織そのものを変更する側にまわるということです。

この場合にルールそのものを変更する人をゲームチェンジャーと呼ぶことがあります。

ルール変更そのものが競争のフィールドになるということです。

当然、ルール変更しても誰も信じなければゲームチェンジャーにはなれないため、ただルールを変えればいいというものでもありません。

大ざっぱに2つの競争をみるだけでも、それらを生き抜くやり方=戦略とは詰まるところタイミングなんだろうなと感じます。

いつ決めれられたルールの中で戦い、いつルールを変える方で戦うのか。

どんなに素晴らしいスキルを積み上げても、ルールが変わった後なら意味がなくなりますし、ルールが変わった直後なら素朴なスキルでもゼロよりは良いでしょう。

ルールが変わりそうな構造的な変化を感じ取り、先んじて記号化を仕掛けるか、記号化の後を見計ってすばやく模倣するのか。

競争から戦略まで考えを進めていくと、本当は誰と競争しているのだろうと思うことがあります。

長い時間軸でみれば、目に見える他社や他人はごくわずかな部分でしかありません。

2020.01.16

さくさく、ゆったり、じんわりと

料理をしていると、いろいろな調理のリズムを徐々に合わせていく面白さがあります。

鮮度を保つためにできるだけ素早く処理するもの、味がしみてくるまで冷蔵庫で寝かせるもの、コトコト一晩中煮込むもの、半年ほど漬け込むもの。

短いリズムもあれば、長いリズムもあり、それらを食卓にのせるときにはピタッと合わせなければなりません。

日本食では素材の旬というリズムもあり、1年を通じて気を配る必要があります。それが伝わる一節があったので書き出します。
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一汁一菜でよいという提案
http://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=34247

季節の移ろいの中にある滋味を楽しみとします。

旬をはずさないのは日本人と野鳥だけ……というのは少し大げさですが、旬の楽しみ方の幅、細やかさ、深さを考えれば、まんざら嘘でもありません。

特に旬を「はしりもの」「さかりもの」「なごりもの」に分けて、交差する生命のはじまりと終わりを五感で感じ、意識するところにそれは現れています。

すべて季節に添うところにあるという和食の感性は、私たちの身体が秩序を持って大自然とつながることを、情緒というかたちで気づかせてくれているのです。
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会社運営も似たところがあり、働く人やプロジェクトごとに時間の流れがまったく違います。

平成最後に卒業した新卒が進むペース、地方から出てきて東京で10年働いて子育てしている人のペース、5年以上しっかり取り組んできているプロジェクトのペース、新しい事業を立ち上げていくペースなど時間の進み方はバラバラです。

でもそれが自然であり、そんなバラバラな時間のリズムを感じていくことがマネジメントかと思っています。

2019.12.13

「働く」から引いたり、掛けたり

会社で働いていて、「お金を稼ぐ」という前提条件を引いたときに、何が残るかということを考えています。

「株式会社に所属する」というスタンスを選択したら売上を上げて、利益を上げていくという資本主義はあまりに自明なことです。

それがまずは会社を経営したり、会社で働く理由になります。

ただし、働くということに1日7時間以上を使うと考えた時に、少し欲張りですが「お金を稼ぐ」以外の何かを満たすことは精神のバランスを保つために大切なことだと感じています。

仕事がうまくいきはじめた、少し褒められた、仲間ができたなど人によってモノサシは違いますが、未来の自分に期待を持てるかどうかかなと。

また違う角度から、よくインターン生から受ける質問として「将来働くことに保険を掛けるにはどうしたらいいか」というのもあります。

職業を1つに絞るリスク、やりたい仕事じゃないリスク、長時間勤務になるリスク、転勤になるリスク、嫌な上司にあたるリスク、起業できないリスク。

理想的にはそれらを回避できるオプション取引があればいいですね。

本当にオプションがあるかないかは別の議論として、不安が先行しすぎているようにも感じます。

不安が生まれ、期待に変わり、心配ごとが増え、希望がふくらんでくる。

季節がめぐるたびに、仕事の年輪が増してくるとそれも理想的といえます。

2019.11.21

ORIGAMI、情報の折りたたみ方

ベタですが、海外にいっていろんな国の人と仲良くなる方法に日本人らしい「折り紙 ORIGAMI」があります。

折り紙の認知度は高く、作り始めると「ああ、アレね」的な感じで関心をもってくれます。

ただ、ツルや風船は知っている人も多いので、おまけに完成した折り紙にその人の名前を漢字で書いてあげると大体喜ばれます。

折り紙を作りながら、いつも感じることはこれこそ「価値」を作っていることであり、「情報を整理する力」なんだろうなということです。

折り紙の材料は、1枚の何気ない紙です。

世界中どこでもあります。そしてペンもどこにもあります。

誰もがどこにでも「ある」と思っているものから、数十秒でツルという日本の世界観と漢字にされた見慣れぬ自分の名前という違和感を相手の中に作り上げます。

ありふれすぎて、慣れすぎて「なかった」ものが「ある」ようになる瞬間がそこにはあります。

ありふれたモノから新しい価値を作るプロセスは、ネット上のありふれた膨大な情報から知見を得るヒントを与えてくれます。

おそらくは「膨大でありふれた情報」という認識の枠組み自体が違っていて、ありふれた情報を折りたたんで価値にする方法が見えないし、さらに厄介なことにそれは不確実で、どんどん変化しているようです。

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