少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。
2024.10.01
会社では、目的に沿ってきちんと物事を進めることが求められます。
とはいっても、目的からは外れているけど偶然いいものを見つけられたら、それはそれで嬉しい。
着実たる目的への道すじと、ふらり思いもかけない出会い。
どちらかに偏らずにうまく二つのバランスとれたらいいのにと思っていたら、生化学のメカニズムに求めている表現を見つけました。
ーーーーーー
眠れる進化
アンドレアス・ワグナー(著)、大田直子(訳)
https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0000614651/
多くのタンパク質は自己組織化してーー折りたたまれてーー入り組んだ三次元の形になる。
そのアミノ酸鎖は、周囲から飛び込んでくる無数のほかの分子に、たえずぶつかられる。
この衝突は、私たちが熱と呼ぶ分子の振動によって引き起こされる。
それはタンパク質折り畳みを推進するエンジンでもある。
略
前に言及しなかったのは、タンパク質の鎖は折り畳まれた後でも、動くのをやめないことだ。
その形は近くのアミノ酸間の化学的引力によってまとまっているが、熱振動に揉まれ続けるので、くねくねと動き震え続ける。
こうした動きはほとんどのタンパク質が実行する仕事に不可欠であり、地球上のあらゆる生命に力を与える化学反応に触媒作用をおよぼすーー反応を加速するーー何千種類の酵素も例外ではない。
そしてこうした酵素のなかには、抗生物質を引き裂いて破壊することによって、生体を守るものもある。
略
抗生物質を切り裂く酵素では、酵素の折り畳みがこうした動きを導き、特定のアミノ酸を分子が引き裂かれる必要のある場所にたたきつける。
結果的に生じる衝突が抗生物質を裂く。
ハサミが紙を切り裂くのと似ているが、働く力は力学的なものではなく化学的なもので、原子間の引力と斥力がかかわる。
略
ピボットが少しゆるいハサミのように、酵素の誘導運動はずさんな場合もある。
飛び込んできた分子をまちがったアミノ酸と結合してしまうかもしれない。
あるいは、アミノ酸は正しいが、まちがった場所で結合する可能性もある。
略
こうした理由から、一種類の化学反応を加速する酵素の多くは、ほかの反応も加速できる。
生化学者はこれを基質特異性の「ゆるい」酵素とも呼ぶ。
多種多様な分子パートナーとの反応を触媒するからだ。
ーーーーーー
生物の代謝を調べると非常に複雑な回路だと分かりますが、実は意外とゆるい部分があるようです。
体でいえば、複数の部位が連動するからこそ全体の活動を維持できるのであって、細胞レベルでの確実性や再現性が土台になっていることはいうまでもありません。
しかし、そんなレベルでもゆるさがある。
ごくわずかなゆるさが新しいタンパク質を作り、DNA鎖を置き換える。
だったら、そうかと飛躍させていきます。
もし会社の組織にわずかなゆるさを持てたらどうなるんだろうと。
理想的には「ごくわずかなゆるさが多種多様なメンバーとの反応を触媒する」と仮説を立てることができます。
ただし、問題は塩梅の加減です。
ごくわずかなゆるさ、そのさじ加減が難しい。
わずか、こわずか、ごくわずか。
苦しまぎれに「わずか」の三段活用してみましたが、やっぱりいい案が浮かんでこないので、とりあえず今日は秋のはじまりにふさわしいスイーツを取り寄せることにしました。
ちなみに上述の進化生物学の書籍は面白い説が多く、おすすめです。
2024.09.26
早いもので、9月は残りを数えるばかり。
来週になるともう10月、ハロウィンの季節。
今年は残り3ヶ月、100日を切って営業日なら66日しかないんです。
気を抜くとすぐお雑煮シーンになりそうだったので、恒例の年末プロジェクトはラストスパートに入りました。
今年はいつもと違い、オリジナルカレンダーの配布をやめてカードゲーム作りに軸足を移し、もう一つの年賀ゲームアプリもやめて誰かの役に立てそうなサービス作りに進路を変えました。
そう決めるまでは良かったのですが、予想通りうまくいかないものです。
そもそもプロジェクトをキックオフできてなかったり、プロトタイプが思ったほど面白くなかったり、すでに予算金額と規模を大きくオーバーしそうだったり。
どれも初めてだから未だゴールの場所が分からず、進むべき道が見えてこず、なすべき役割を決められず。
それでも情け容赦なく時間が過ぎていけば、じんわり背中が汗ばんできて、踏み出す足が遅れはじめ、薄暗い森をあてどなく彷徨(さまよ)うような錯覚に陥っていく。
行き詰まり、無言になり、顔をしかめ、下を向き、天を仰ぐ。
不意にヒンヤリした空気を感じて、夜には足先から凍てついていく予感。
深く分け入るほど、追い詰められていく人たち。
Mogic冬の風物詩、地獄の二大プロジェクトはまだ始まったばかり。
いかなる結末になるのか、僕らもまったく分かりません。
結末は必ずどこかで公開されますので、乞うご期待ください。
【後日追加】
年賀カレンダーの仕上がり:https://branding.mogic.jp/a/14203
年賀アプリの顛末:https://microtech.mogic.jp/a/14226
【過去の風物詩】
カレンダー2024:https://branding.mogic.jp/a/13774
カレンダー2023:https://branding.mogic.jp/a/13685
カレンダー2022:https://branding.mogic.jp/a/13678
カレンダー2021:https://branding.mogic.jp/a/13665
年賀アプリ2024:https://microtech.mogic.jp/a/13795
年賀アプリ2023:https://microtech.mogic.jp/a/13625
年賀アプリ2022:https://microtech.mogic.jp/a/13623
年賀アプリ2021:https://microtech.mogic.jp/a/13619
2024.09.20
四字熟語シリーズで、二つほどピックアップしてみました。
まずは一樹百獲から、もとは
“一年の計は穀を樹うるにごとくはなし。終身の計は人を樹うるにごとくはなし。一樹一獲なるものは穀なり。一樹十獲なる者は木なり。一樹百獲なるものは人なり”
という文章があり、意訳すれば「目先の利益ばかりじゃなく、長い目で人を育てていくことが大事」ということ。
続いて一新紀元の由来は分からないのですが、辞書を引くと高村光太郎・美の日本的起源の例文があり、聖徳太子をもって
“国是は定まり、国運は伸び、わけて文化の一新紀元がかくせられた”
という一文をみれば「古いことが終わり、まったく新しい年のはじまり」と分かります。
唐突ながら、この二つを取り上げたのは現在の足場を示すにふさわしいんじゃないかという直感です。
つまり、今この時期に大きく時代を捉える感覚を変えなきゃいけないんだろうなと。
一つとして日本の人口動態を見れば、2023年は過去最大の84万人減少という話。
減少の内訳としては、出生数は75万8631人で死亡数は159万503人。
たった1年で政令指定都市レベルの人口がなくなったという事実。
これが毎年積み上がるとすれば単純計算で10年で840万人減。
840万人が減った未来、それはどのように見えるものなのか?
これまでの視点から見れば「何もかも不自由のない時代から、いつも何かが足りない時代」と映るでしょうし、10年後の視点から見るなら「手元にあるものから、違う価値を生み出す時代」になるのかと思ったりします。
そう考えを推し進めるなら、冒頭にもどり、一樹百獲が大事となります。
会社で例えると、いい人が採用できないと嘆くより面接にきてくれる人とどうやれば共に伸びていけるかを考える。
人手が足りないと悲観するなら、今いる人を大事にするべくシステム化、構造化、取捨選択することを考える。
そうして何よりこれまでの当たり前に疑問を呈し、新しい価値を生み出す組織をどう作っていくのか、それをじっくり考えたいところです。
2024.09.10
これまで会社やビジネス、仕事を語るにあたり、どうもぼんやりしたところがあるように感じていました。
語るに語りにくいところって何なんだろうなと。
ところが、それをうかがい知るヒントは意外なところにあるものです。
医学関連の本にピンときた箇所があったので引用してみます。
ーーーーー
二つ以上の世界を生きている体 韓医院の人類学
キム テウ(著)、酒井 瞳(訳)
https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760155675
身体で会社に通い、食事をし、映画を観てカフェに行く。
また、自らとは別の身体と共に生きる。
身体同士、表情や会話を交わし感情を伝え合う。
人はそのような身体を知っている。
身体が伝える感覚を知っており、痛みも知っている。
この痛みに対する知が束ねられてできた体系が医療だ。
略
どんな医療でも、身体の全ての状態を完全に説明できるわけではない。
これは、ある医療の限界の問題というよりは、さまざまな背景と側面をもつ身体という存在の問題だ。
略
したがって医療は、健康のための知と行為の体系以上の意味を持つ。
医療は基本的に、「規定」の体系だ。
医療は何を疾病とし何を健康とするかを規定し、その根幹には身体に対する規定がある。
人間の最も基本的な前提である身体が何であるかを示す医療は、まさに人間についての定義でもある。
略
西洋医学が注目する確実な対象たちを調べてみると、西洋医学が身体に対して一貫してもつ観点があらわれてくる。
略
対象は「独立体」なのだ。
ゆえに、それとそれ以外の事柄とのあいだで、分離が可能になる。
略
東アジア医学は、「固定」、「独立した対象」を強調するよりは、「流れ」と「状況」に深い関心を持つ。
韓医学には「通則不痛 不痛則痛」という有名な言葉がある。
通りが良ければ苦痛はなく、悪ければ苦痛があるという意味だ。
流れが順調であれば病はない。
苦しくなく、心地よい体だ。
しかし、流れが悪ければ健康は揺らぎはじめ、疾病に近づく。
韓医学の診断は、流れが悪い状況に対する考察だといえる。
ーーーーー
慣れ親しんでいる西洋医学以外にも、世界には多様な医療観があり、それらは独自に「規定」されている。
であれば、会社やビジネスも似たように「規定の数」だけ多彩な解釈や行動があってもおかしくない。
一緒にはたらく人やクライアントを独立した数字として取り扱う規定もあれば、全体として流れや滞りを見ていく規定もある。
おそらく語りにくさは、異なる規定を超えて伝えようとする難しさ。
もちろんどんな規定に立つかは自由だし、僕らは自分たちが心地よく感じられるように知と行為を好き勝手に体系化する。
そうして気がついたら20年、30年経ってた、となるのがいいですね。
最後に先の引用より少し拝借して書き直しますと
“人間の最も基本的な前提である身体が成し遂げる社会的な活動(仕事)とは、まさに人間についての定義でもある”
2024.09.03
マーケットディレクション、ベーシックエデュケーション、イノベーション&プロデュース。
Mogicには、聞き慣れない部署名がたくさんあります。
これは名前遊びをしてるわけじゃなくて、実体に合わせようとしたらこうなっただけなんです。
ディレクターの機能だけだと自分たちのサービスを展開するにはちょっと物足りなかったのでマーケティングの要素を加えてマーケットディレクション部門となり、専門的な技術は各部門で学ぶけど、チームでのコミュニケーションや個人ごとの性格を見るといった土台(ベーシック)の力は組織を超えて見た方がいいとしてベーシックエデュケーション部門ができました。
過去に例のない試みなので、うまくいく事ばかりじゃありません。
むしろ物議を醸した部門もありました。
そのうちの一つ、名は体を表す、そのまんまの「アグレッシ部」です。
ネタっぽいと思われがちですが、本当に実在してました。
インターン生とプランナーが中心となって、いざ積極果敢に社内をロビー活動する部隊として。
ちょうどその頃(10年前ごろ)は組織化が進んでいたので、部門のタコツボ化を阻止しよう!部門間の垣根を取り払おう!と鼻息が荒かったんですね。
そうした使命を忠実に守り、しばしば他部門にお邪魔しては場をかき乱していました。
ミーティング中にドアを開けて「頼もうっ!」と闖入し、いきなり挑戦状にも似たプレゼンテーションをぶちかます。
「よく聞けよ、お前たち」から始まる、謎めいたマウントフレーズ。
そりゃ、当たり前なんですが、みんな唖然、呆然とするんです。
・・・ぅうむ、違うやり方あったかなあと今さらながら思いますが、たまに笑い話として登場するのでいい経験だった、、、ということにしています。
2024.08.26
資本主義で生きていく。
日本では息をすると同じぐらい当たり前に聞こえます。
だとして、もしあなたが誰かに「資本主義のルールと動き方を教えてください」と聞かれて、すんなり答えられるかどうか。
ふ〜ぅと長いため息をつくぐらい、僕はあんまり自信が持てません。
サッカーをしていく、で例えてみると
ボールは1個で、手は使っちゃダメで、足や頭でボールを運ぶ、敵のゴールは一つ、フォーメーションはこうとか。
うまく説明できるかどうか、怪しいものです。
仮に10年サッカーをやっていたとしても、競争の激しいトーナメントを勝ち上がれるかは別の問題です。
つまり、わかりやすいルールが定められているゲームでさえ、うまく説明して、うまくやり抜くのは難しいもの。
であればなおさら資本主義という、誰もルールを教えてくれない世界でどうやっていくのか。
不登校、内申、受験、ガクチカ、就活、やりがい、職歴、出会い、投資、職場、通勤、家族、保険、居場所、肩書、転職、健康、起業、介護、年金。
毎月、毎週いろんな相談を受けますが、最後はそこ(資本主義のルールをうまく把握しにくいこと)から問題が派生している気がしてなりません。
2024.08.19
Mogicでは年がら年中、絶えることなく色んなシステムを作っています。
最近だと金曜に出社するインターン生が中心となって、スイーツ・スクラッチくじプロジェクトを進めていたり。
なんでそんなものを作ってるの?と思われるかもしれませんが、社内では取り寄せたスイーツの分配が一大事なのです。
「届いたスイーツをそのまま配るんじゃダメ。間合いをとって、オモシロおかしく、かつフェアで納得感があるように配ること。そして楽に運用したい」
そんな無理めな命題に、学生たちが頭をしぼって取り組んでいます。
はじめて顔を合わせた学生5人、エンジニアからセールスまで部門はバラバラ、誰がどう意見をまとめるのか、プレゼンではどうアピールすべきか、そしてもらったフィードバックをどう解釈するのか。
最初の2回でコンセプトや実装を練り上げ、残り4回の出社で作り込んでリリースまで行くことになりました。
不安でしょうがない人、ぜんぜんイケるよという人、目の前で精一杯な人。
次々と崩れていく足場によろめいたとしても、お互いを信じることができるなら、きっと記憶に残るものが出来ることでしょう。
【後日追加】インターン生が書いたMicroTechの記事
https://lantern.mogic.jp/a/14049
https://lantern.mogic.jp/a/14055
https://lantern.mogic.jp/a/14063
2024.08.05
幼稚園の年少クラスから中学生くらいまでの子どもへの接し方。
今どきの、という枕詞が子どもへの向き合い方をさらに難しくしているように感じますが、とても分かりやすい本があったので(著者への敬意ゆえ、本来の引用文法からズレて)ちょっと長めに引用します。
ーーーーーー
子どもが嫌いなおとな
珠藻留意(著)
https://mangabito.biz/?p=17236
子どもに対してマウントを取りたい大人もいます。
これはその後の指導や授業などで指導者や先生が主導権を持ちたいからだと思います。
ですが、人によっては逆効果です。
子どもたちはマウントをとらなくても信用できる人の言うことは聞きます。
楽しい人や親身になってくれる人も好きです。
ですが、昔の武勇伝を語る人や、自分の教え子にこんな有名人がいるというような自慢話に興味はありません。
男女間の会話でも同じようなことが言われることがありますが、「自分がすごいという自慢話」「昔悪かった話」などは好きだと思っている異性に聞かされているうちは凄いと思う人もいると思いますが一般的には聞いている方は疲れます。
特に昭和や平成初期の少し乱暴なお話は、子どもだけでなく、子どもからその話を聞いた保護者からも嫌がられるはずです。
なにか問題があったときは「あの先生(指導者)は以前こういう話をしていた」と真っ先に疑われることにもなる可能性もあります。
少しできるようになった子どもを褒めないで「まだまだだな」という態度もよくありません。
ちょっとでもできたら褒めてどんどん調子に乗らせて上達させる方法もあります。
そこで否定的な話をして「認められたい」と思うような職人思考の方向に持っていくというのは「特待グループ」などの特別優秀な子どもの集まり等でなければ難しいと思います。
そこまでのクラスになれば負けず嫌いと目標意識の高い子の集団になっている可能性が高いからです。
その競技や楽器、学習のはじめに大人の不必要な意識付けは子どもたちの興味を削ぎ、場合によっては反抗心を起こさせてしまいますので気をつけましょう。
ーーーーーー
読んでいくうちに、今どきの子どもだけじゃなくて、今どきの会社経営も同じなんじゃないかなと思えてきます。
壮大な目標がもたらす達成できなさを利用して「認められたい」という条件反射を引き出そうとすれば、「はぁそうですか」とすぐに作為を見透かされるでしょうし、今を生きる彼らにとってリアリティのない5年前、10年前の武勇伝や自慢話なんて(リアルタイムこそリアルなんで)聞きたくはないでしょう。
いつの時代だって立場やカタチは変われど、感じている時間軸やリアクションは変われど、最後は信頼できる人であること。
それは普遍的にそうなんだろうと思っています。