少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。
2025.01.29
会社でも個人でも一つのポリシーがあって、それが「時の流れを見つけて、それに逆らわない」ということです。
若い頃は、あと5年したらパソコンのブロードバンド環境が全世帯の80%まで普及しそうだなと試算できたので動画配信事業を立ち上げられる場所を探しました。
起業した頃は、スマホ出てからちょうどタブレットが発売される年だったので少子高齢化と重ねて、どうやると長くオンライン教育を支えられるかなと考えました。
もちろん自分が心からやりたいと思うことが大前提なんですが、そうはいっても一人の力ではどうにもできないので、風向きが悪いものはスッパリ諦めるようにしています。
最近もまた何か大きな流れがある気がして、やがて風が吹くときに備えてチクチクと布きれを縫いあつめるばかりです。
2025.01.21
今回はアイデンティティという、かなり使い込まれた言葉を少し掘り下げてみたいと思います。
アイデンティティ、これまではざっくり「何が自分らしいか」「他人からどう見られたいか」ぐらいに考えていました。
ちょっと広げていくために、wikiより一部引用してみます。
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アイデンティティ(自己同一性)
https://w.wiki/6585
青年期において、自分は誰なのかを知ることを自我同一性を確立すると言う。
心理学辞典(1999)による定義は、「『自分は何者か』『自分の目指す道は何か』『自分の人生の目的は何か』『自分の存在意義は何か』など、自己を社会のなかに位置づける問いかけに対して、肯定的かつ確信的に回答できること」 である。
略
自我同一性を獲得するために社会的な義務や責任を猶予されている準備期間を心理社会的モラトリアムと言うが、これはアイデンティティが確立するまでの猶予と言う意味を表しているに過ぎず、エリクソン自身は青年が様々に葛藤したりする戦いの時期として捉えていた。
この時期に青年はそれまでに獲得してきた様々な自己の部分を整理しなおす。
その結果、青年には適切に選ばれた忠誠を誓えるような対象と自己の活動が残り、また否定的な部分は捨てられてアイデンティティとして確立する。
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発達心理学の解釈に偏っていますが、たしかに「社会において自分を肯定的、かつ確信的に回答できること」という定義は分かりやすいものです。
この定義をあえて反転させてみると「社会において自分を中立的、否定的、または曖昧に自信なく回答している」となりますから、この状態、つまり肯定的かつ確信的に受け答えできないのはなかなか居心地が悪くなります。
「あなたって、なにしてる人なの?」
「えーと、まあ、平日に仕事してるかな」といった具合に。
ただし、さらに別の角度から見直してみると悪いことばかりじゃない気がしてきます。
座りが悪いからこそ、いろいろ考えるし、試すし、悩むし、選ぼうとする。
違和感があるからこそ、ずっと真面目に考えていて、そんなあなたを誰かが気にかけてくれる。
まあ、思いきって一つでも踏み出してしまえば、その結果はどうであれ居心地の良し悪しは分かってくるものです。
不思議ですね、そう考えていくとヒトじゃないのに会社も似てるなと思えてきます。
起業したら、この事業かな、あの事業かなと居心地の悪いまま、探して、試して、悩んで、選んでいくのですから。
近い道を選んだつもりだったのに気がつくと違うところにいたり、なんだか遠回りしてるなと思ったら案外と近道だったりして。
ああでもない、こうでもないと今に至り、その道のりに自分たちの「らしさ」があちこちに残ってる。
きっとデコボコ道でつまづかないと、カラダが大事なことを覚えてくれないのでしょう。
そうして会社の業務がこなれてきて成果が出てくれば一安心。
のはずですが、残念なことにそれも束の間、さらに進むには変わり続けないといけません。
ここまで紆余曲折して広げてきたら、意外と居心地って悪い方が良さそうにみえるし、「らしさ」って立ちどまってちゃいけないんじゃないかと思えてくるんですよね。
2025.01.16
会社を設立して10年すぎたあたりから、ガバナンスを意識してきました。
よくコーポレート・ガバナンスと耳にしますが、さすがに大きな組織が実践するような枠組みは大げさなので、もう少し自分たちらしいものってなんだろうなと模索してきました。
まずはガバナンス、分かるようで分からない単語の定義から
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ガバナンス
https://w.wiki/CjpQ
ガバナンス(governance)とは、統治のあらゆるプロセスをいう。
政府、企業などの組織のほか、領土、ITシステム、権力などにも用いられる広い概念であることが分かる。
ガバナンスにおいては、関係者がその相互作用や意思決定により、社会規範や制度を形成し、強化し、あるいは再構成していく。
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自分たちなりに解釈するなら、やっぱり大事なのは「関係者の相互作用で善く再構成していく」という点。
Mogicでいえば、内外を問わず関わるすべての人たちが安心できる存在でありつづけること。
組織の骨格をできるだけ共有して意見を集め、利害がぶつかれば関わる人たちが納得するまで話し合い、大きな権限を持つならふさわしい責任と倫理を持つべきで、決して誰かの得のために誰かが損しないように。
こうやって書いてみれば、どれも普通のことです。
それでも僕らは慣れ親しんだ普通に新しく話し合った普通をぶつけて、小さくても些細でもバージョンを上げていくことにしています。
2025.01.08
年を越す前から「2025年は編集力をつけてほしいんだよね」とあちこちで言っていました。
IT企業、教育サービス、石神井、30人の会社に組織的に編集力がいるのかどうか?
いらないかもしれないですね。
いらないかもしれないけど、テーマが決まれば割となんでもカタチにできる人たちだから、ひとつ上の課題を出したかったというのが建前。
本音はといえば、つい退屈しちゃう人たちなのでテーマ自体を生み出す力があれば暇しないんじゃないかという仮説。
あとは時代が迫りあがってくるという背景があって、思考をサポートするIT技術がどんどん高度になるほど、ついと遠くにポイントを置ける柔らかさが求められるんだろうなと思っています。
この思惑と仮説と予想の糸がうまく撚りあうかどうか、数年かけてチャレンジすることになるのでしょう。
年が明けて心情を編みなおすなら、冬靄(ふゆもや)にかすむ山の端はいつも違えど、煙立ちのぼる気持ちはつゆしも変わらず、です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2024.12.24
ふとした折に「受託開発 or コンサルティングをやってるんですが、自社サービスを立ち上げたくて」と話しかけられることがあります。
このトピックは今も昔もあちこちでよく議論されていて、さまざまな見解があってしばしば白熱するものです。
ですから、まずは丁寧に背景をひも解かねばと思って「なぜ立ち上げたいんですか?」と聞いています。
「数社の大型案件に依存するとリスクが大きい」
「自分たちのブランドで自由にやってみたい」
「過去の開発案件で培ったノウハウを活かしたい」
「人数に依存せずスケールして利益を上げられそう」
「社員に能動的に活躍してもらいたい」
「キャッシュフローを安定させたい」
と意外にも理由はバラけているもの。
となれば、「自社サービスの立ち上げに何が足りないと思います?」と続けます。
「サービスの勘所をつかめる人がいない」
「エンジニアはいるけど、デザイナーがいない」
「アイデアはあるけど、リソースを確保できるか微妙」
「ウェブ広告やマーケティングのノウハウがない」
「どれだけ資金と時間がかかるか不安」
「専属でやれる営業担当がいない」
という課題があがってくるのであれば「あくまで個人的な見解なんですが、、、」と前置きして、少しズレた受け答えをしています。
「うちらはタイミングとサービス精神、それを大切にしてるかなあ」
「え、そうなの?」といわれたら「そうですね、お金もスキルもリソースもなんとか工面して挽回したりできそうだけど参入すべきタイミングは一度逃すと取り返しがつかないし、サービス精神、つまりは相手を喜ばせたい、期待以上のものを届けたいという気持ちは根本的にかけがえがないものだし、ダイレクトに顧客と接しないサービスなら組織自体にサービス精神の文化がないと良さが伝わりきらないだろうし、なんだか自分の費用対効果ばかり気にする人じゃ作り続けられないだろうから」といった感じです。
そうはいっても慎重すぎて待ちぼうけでも良くないし、サービス精神を発揮しすぎて疲弊するのもおかしいからバランスが大切になってきて、数字的な裏付けがなく論理的な組み立てじゃなくて、ホント、単なる精神論なんですが、直感的にそう感じてしまうのです。
2024.12.16
ちょうど15年前の今日、会社を設立しました。
最初は一人の会社だったので、家族がイタリアンのレストランで祝ってくれたことを思い出します。
そして15年目、今回は韓国料理のキッチンカーにきてもらいました。
プルコギ丼、牛バラビビンパ、高菜明太ビビンパ、トッポギ、クロッフル、ハットク、タピオカミルクティーなどなど。
みんなが楽しみに出社しているみたいで、それが一番です。
思えば今のオフィスに引っ越したのが10年前。
3Fと4Fだけ借りていて、すぐに1Fと2Fが開いたので改装工事。
勢いあまって初夏の屋上でコロッケとビールで地域の方と盛大にパーティ。
かれこれいろんなことがありましたが、端的にまとめると会社を作って良かったなあと思っています。
2024.12.10
4ヶ月に1度ほど、会社の社内規程を外部の専門家の方と見直しています。
このぐらいがちょうど良くて、介護や育児の情報をアップデートしたり、これまでの条項で曖昧な部分を書き換えたり、みんなから寄せられた意見を反映したりします。
全部で20本近くあるのですが、一番メインの就業規則は改訂に改訂を重ねて第95条まで達しました。
さすがに全部を見切れる人はいないとしても、ここまで書き込みつづけると各部門の責任者が判断する際に辞書代わりとなります。
結果、代表のところまで相談がこなくなる。
うん、いいことです。
そういう点でも4ヶ月に1度、執行役員とともに見返すというのは投資に見合っているのです。
ちなみに厚生労働省のサイトにモデル就業規則というものがあり、「ああ、その視点もあったか」と勉強になります。
2024.12.02
不思議に思われますが、Mogicには会社としてのプレゼン資料がありません。
こうやるぞ!そんな目標だ!あんなロードマップさ、なんて宣言はありません。
よく「そんなんで組織まとまるね」と言われますが、どこ吹く風です。
「もう15年もやってきたんだから、さすがにいいでしょ、大丈夫ですよ」と答えています。
なんだか企業としたら一般的じゃないんだろうなと思ってたら、デザインや建築分野に近しい手法があるらしく、引っ張ってきました。
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スマートシティとキノコとブッダ
人間中心「ではない」デザインの思考法
中西泰人(著)、 本江正茂 (著)、 石川初(著)
https://bnn.co.jp/products/9784802513081
「いまあるモノで何か作ろうか?」
お腹を空かして家に帰って、お母さんからそんなふうに声をかけられたことはありませんか?
そう言ってお母さんが作ってくれたモノは、冷蔵庫にあるものを使って作る「ありあわあせ」の料理でしょう。
それは、味はいつもの味付けでホッとするけど、明確な名前があるようなものではないモノ。
材料からその使い道を考えた創作料理であるそれは、時にはナゾの料理かもしれません。
そうした料理のプロセスは「これを使って何かできないか?」と思い巡らしながら他の食材を眺め、新しい組み合わせを考えて素材の可能性を引き出すようなプロセスです。
略
それは新しい技術や素材の応用先を「ボトムアップ」に探していく「シーズ志向」のデザインプロセスに近いものです。
それとは対照的なのは、週末だけ料理を作るお父さんがやりがちなプロセスで、本に書かれた料理の「設計図」としてのレシピを実現すべく、それに従ってスーパーに行って材料を買い出しに行くところから始めるような料理です。
すでに誰かが設計してくれた美味しい料理を目指して、材料をきっちり揃え、手順通りに作る。
それはゴールを先に決めてそれを実現する手段を考えていくような「トップダウン」「ニーズ志向」のデザインプロセスに近いものです。
お母さんが作るような、手元にある材料を寄せ集めて即興で作られたありあわせの料理は、その味や食感に思わぬ驚きがあったり、その逆に、なんとも言えないメニューだったりするかもしれません。
この、手元のものを集めてどうやって新しいものを作るかを試しながら作り出すプロセスは、「ブリコラージュ(bricolage:器用仕事)」とも呼ばれます。
略
そうした工夫は、「頓知」や「機知」、「ウィット」や「エスプリ」といった単語が近い意味をもっています。
これらの言葉は、その場に応じて即興的にユーモアを含んだ知的なことを言ったり、何とかその場を切り抜ける咄嗟の判断などを表しています。
ブリコラージュはフランス語で、「繕う(つくろう)」や「ごまかす」を意味する「bricoler」という単語に由来していますが、それはちょっとしたウソをついて何とか事態を切り抜けるような雰囲気を含んでいるそうです。
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いいですね、ありあわせ、ありあわせで作る会社。
ない、ないというより、身の回りのもので取り繕う会社。
そうしてなにより困ったらウソはつかないけど、なんとか切り抜けようとごまかしニンマリする人たち。
別にそんなもんなんじゃないのかいと、今日は朝から大掃除です。