Mogicはかんがえる

少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。

代表取締役 山根陽一

2023.06.12

いきはよいよい、帰りはお任せ

誰かにサービスを提供しつづけるのは難しいものです。

ITだと一度プログラムを作れば後は半自動で楽じゃんと言われますが、これが落とし穴です。

分かりやすい表現があったので引用しますと

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人が増えても速くならない
倉貫 義人(著)
https://gihyo.jp/book/2023/978-4-297-13565-2

プログラムで新しい機能を開発する際には、すでにある構造の上に積み重ねるように作っていくものです。

プレッシャーに負けて一時的に妥協したとして、その直後に妥協して作られたものと同じ機能を、妥協しない品質で、時間をかけて開発しなおすことができれば理想ですが、それは事業側の人間からすると受け入れることは難しいでしょう。

そうして数年が経つと、「これ以上は機能を追加するにはどうにも手を出せない」状態になってしまうのです。エンジニアたちは、そうした状態のソフトウェアに機能を追加することに大きな不安とストレスを抱えることになります。このようなプレッシャーなどによる一時的な妥協は、借金や負債のようなものとして「技術的負債」と呼ばれます。

つまり、乱雑・複雑に作ってしまったものをシンプルな状態に戻すのは不可能と考えたほうがいいでしょう。
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勢いにまかせれば、スタートは軽快です。

あれこれスピードを求めてやりつづけると、2年で詰まってくるでしょう。

打開すべくハイスキルな人を探し、大幅にリソースを増強し、さらなるモチベーションアップを図ってなお、最初よりスピード、クオリティ、ボリュームすべてが下がってきます。

目に見えない技術的負債が最大化された状態ということを、口に出さずともエンジニアやデザイナーら作り手が一番よく分かっています。

要は、技術的負債がもたらす利子を余分に支払っているのです。

それでも表向きのビジネスで大胆にスケールを追求した戦略を宣言しつづけるとどうなるか?

力強いビジョンという大義のもとに、力技で押しきる組織のメカニズムに抗いきれず、力あるエンジニアやデザイナーから辞めていきます。

覆い隠された構造的な問題は、個人レベルで解決しようがないからです。

残念ながら、技術的負債はそこではじめて目に見えるようになります。

ということで、ITのサービスを“続けること”は難しいのです。

別の角度からいうと僕らがサービスを提供しつづけられるのであれば、誰かが抱える技術的負債を代理でクリアにしていることになるのかなとも考えています。

いきはよいよい、帰りはお任せください。

2023.06.05

塩がつないだ縁

オフィスの魔除けとして外ドアの左右に1つずつ盛り塩を置いていたのですが、コロナ禍の対応が一区切りついてやめることにしました。

円錐形の型に塩をギュッと詰めて逆さまに置くと、凛とした白い山ができます。

見た目がきれいで邪気払い感があったものの、しばらくすると崩れているということがよくありました。

特に1Fドアの外に置かれた盛り塩はよくバラバラになっていました。

なんでだろうね?と話していて、もしかしたら良くないことが起きているのではと頭によぎった夕方、インターフォンが鳴ってようやく分かりました。

「すみませーん、ドアの盛り塩なんですが……うちの子がさわってくずしちゃって……珍しいみたいで……」と若いお父さんの声。

「あら、そうですか、ちょっといきますね」とメンバーが返答。

階段を降りていくと、たしかに皿の周りが砂場のように散らかっていたままで誰も見当たりません。

それからも忘れた頃に、人知れず塩の山は崩されていました。

やがて姿は見えずとも、きっと小さい子たちが遊んでるんだから良い兆しなんだと勝手に納得したという次第。

そうして盛り塩をやめると決めたとき、不思議と気になったのは彼らのことでした。

世には、人の預かり知らない縁があるものです。

2023.05.29

一手の間に先を見る

先日メンバーから「相手からちょっと大雑把な頼み事(ボール)がきたのですが、これはどう対応すればいいのでしょうか」と質問を受けました。

ビジネスでは仕事のやりとりをキャッチボールに例えて、ボールが相手にある、こっちにきたと表現します。

大雑把なボールとはおそらく、受け取る側がすぐにアクションを起こせないような相談なのでしょう。

当然ながら、こちらが理解しやすく整理された話がくればいいのですが、必ずしも相手に悪気があって大まかなボールを投げているわけではありません。

一つ、わかりやすいシチュエーションを取り上げます。

もし初めて家を購入するなら、不動産屋さんに何と質問するでしょうか。

思わず「家族4人が快適に暮らせて、スーパーが近くにあって、学校も近いといいですね、あと治安も気になります」といいそうです。

それは相手にとって十分に大まかなボールと見えるはずなんです。

ですから質問する側に悪気はなく、原因は違うところにあります。

ことの発端は、なにげなく大きくボールを投げてしまうこと。

正確に言いなおすと、なにげなくではなく、投げざるを得ずに投げてしまうこと。

そうなるには、まだ不慣れな分野だから情報を集めたものの、優劣がつかず、まとめてドバッと相手に話さざるをえない背景があります。

と予想すれば、悪気を感じない大雑把なボールはきれいに整理して情報量を減らして戻してあげれば喜ばれるのではないのかなと。

不動産屋さんでいえば、「まず家族4人それぞれで大事にしたいことを3つずつ上げてください。その上で1番、2番、3番と順番をつけてください。最後に4人で見せ合って、家族で統一した1番、2番、3番を作れば楽になりますよ」とすればすっきりしてきます。

なれば、一手間かかるかもしれないけれど相手のリズムが良くなるように一手先を慮ってあげるのがいいかもね、というのが僕なりの回答でした。

2023.05.22

たし算やかけ算ができない

直感的に幸せに幸せを足しても、2倍の幸せにならないことは分かります。

おそらく幸せ*幸せとかけても、同じことでしょう。

これと似た種類のものに、やりがいや希望とかいっぱいあります。

では、はたらく人はどうでしょうか?

はたらく人+はたらく人=2倍のはたらく人数は成り立ちます。

しかし、はたらく仕事量+はたらく仕事量=2倍のはたらく仕事量にならないケースがあります。

人工知能ブームの先に、そういうところを目指すのが一つの在り方かと思っています。

2023.05.15

ジャークチキンがやってきた

オフィスにジャマイカ料理ジャークチキンのキッチンカー(フードトラック)がやってきました。

その場で作ってもらうので、煙がもうもうとたちこめて、じゃんけんでもらう順番を競ったり、余った新作スイーツを欲張ったりと、ひさびさのお祭り騒ぎで盛り上がりました。

邪(よこしま)な人なら悪気なく、なんでわざわざキッチンカーに来てもらう必要があるの?と聞きそうですが、一緒にはたらく場所が楽しくなるなら、それに越したことはないのです。

2023.05.08

好奇心とは何か?

好奇心(を持つ)とは何か?と調べてみると、一説には「あらかじめ想定したことと実際起きたことがズレていた場合に、埋めたくなる気持ち」とあります。

たしかに本当はこうなるはずだったんだがおかしいなと思うと、とりあえず原因や状況を調べたくなります。

ここで敢えて、反対の意味を考えてみます。

つまり、好奇心を“持てない”とは何か?ということです。

一見必要なさそうですが、意外にもよく聞かれる質問だったりします。

そうすると、一番最初の定義の反対になりますから「あらかじめ想定したことと実際起きたことがズレていない」か、「そもそも、あらかじめ想定できていなかった」ことが出てきます。

ズレがなければ何も調べる気持ちは起きないのでそこは排除して、もう一つの「あらかじめ想定できていなかった」ことに絞りますと、なぜ想定できないのかという話になります。

そりゃ、想定できないのは「その状況に対して、ほとんど何も知識がないから」となってきます。

最低限の知識がなければ、これから起きるパターンの想像は難しいでしょうから。

かといって、知らないものを覚えるのはなかなか骨が折れます。

となってくると、好奇心を持つには基本的な知識を自然と覚えられる環境であればベターだなあと思うにいたります。

好奇心を持つこと自体が目的ではありませんから、別に目指してるわけではないのですが、みんながワクワクしていた方が面白いかなと思って、知らないことに触れられる仕掛けばかり作っています。

2023.05.01

からりと、ぞろり

穀物にめぐみの雨がすぎ、からりと晴れた空がやってきました。

いつものようにオフィスの屋上で活動をはじめます。

とはいっても、まずは折りたたみのデッキチェアでうとうとしながら。

たなびく雲につばめがひらり、かおる風にけやきがふわりとしたら、やりたいことが浮かんできます。

ああ、久しぶりにみんなで山盛りコロッケを頬張りながら冷えたクラフトビールを飲みたいなあ、なんて。

コロナ禍をすぎ、ぞろりウォーミングアップです。

2023.04.24

本物の果実は繊細な生もの

海外で旧市街のマーケットをふらふら歩いていると、見たことのない果物ばかり目について、あれこれ聞いているとやがて食べたくなり、気がつくとポイっと口に放りこんでいます。

ふんわり爽やかな香りが広がるんだなとか、ガリガリ硬くてじんわり甘いんだとか、カスタードみたく舌いっぱいに溶けるんだなあとか、普段食べている果物では味わえない感覚。

異国の旅情がなせるワザかと思っていたら、どうやら違うようでした。

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フルーツハンター
アダム・リース・ゴウルナー(著)、立石 光子(訳)
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b205742.html

現代では、果物は日常生活の一部になっている。

だれでも好きなだけ食べられる。

一年じゅう店頭に並び、安価で、いつのまにか台所の調理台の上でしなびてカビだらけになっている。

果物を食べるのは義務に近い。

果物が苦手だという人も大勢いる。

たぶんそれは、果物を食べるのが、収穫してから平均して二、三週間たっているせいだろう。

グローバル経済では規格化された製品、つまり、信頼性があり、むらがなく、均質な製品が求められる。

ぼくが買ったリンゴは、ボルネオでも、ブラジルでも、ブタペストでも、ボストンでもまったく同じものだった。

ぼくたちが口にする果物の多くは輸送に強く、スーパーマーケットのぎらつく蛍光灯の下で十日間鮮度を保つように改良されている。

その結果が「サイボーグ果実」だ。

本物の果実は繊細な生もので、慎重な取り扱いを必要とする。

人間がさまざまに加工してきたとはいえ、果実は本質的に御しがたく、予測もできない。

同じ木からとれたリンゴでも風味はそれぞれ異なる。

何時に収穫されたかで品質に差が出る。

一個のオレンジでもひと房ごとに糖度が変わる。
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そういわれてみると当たり前のこと。

脱穀してつきたての新米には土の匂いがしますから。

いつも口にする果物は、いつも手に入る代わりに何かがこぼれおちています。

もう一節ほど引用を続けると

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選ばれたひと握りの果物が国際貿易を支配している一方で、この惑星は人間の手の届かない、あるいは人間に無視され、忘れられた果物であふれている。

たとえば、ピニャ・コラーダ味のマンゴー。オレンジ色のホロムイイチゴ。白いブルーベリー。青いアンズ。赤いレモン。金色のラズベリー。ピンク色をしたチェリモヤもある。

果物の多様性にはめまいがする。
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これは果物に限ったことではありません。

効率的な流通がもたらす商品化の先に、豊潤さは失われます。

もし会社だったり、働き方だったり、教育だったり、ビジネスモデルであればどうなるんだろうと考えます。

生きようとする木々や草花が果実を作り変えるように、クラクラするほど、いろんな形があっていいんじゃないかと思えてきます。

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