少人数+ソフトウェア+サーバやロボットの組み合わせで
新しい時代の会社経営を進めています。
そのプロセスの一部をこのコーナーでお伝えできればと思っています。
2020.09.11
たいてい1日にどこかでワーワーという声が聞こえるので、行ってみると数人で何かを作ってたり、食べたりしています。
オフィスではお茶やジュースなどが無料で提供されているのですが、それだけだと面白みがないので先月からドリンク特選部というチームがボランティアで立ち上がり、流行っていたり、とんがっている飲み物を厳選して用意してくれるようになりました。
スイカジュース、レモネード専門店のカップジュースなど飲み比べして盛り上がったり、社内のオンラインチャットで話題になったりしています。
またある時は、何人かで小さな袋に手をいれて大笑いしているので何をしているのかと見てみれば、1Fディスプレイ用に手を型取りしていました。どうもグニャグニャ感が受けたようです。
またある時は、引越ししてLANケーブルが足りなくなったので、従業員全員の必須課題としてLANケーブル作りを課しました。
ちょうどよい難易度と作業時間なので、ああ器用なんだねとか、失敗して悔しいとか言いながら作っています。
みんなITをふんだんに使うのに、五感で楽しむのも好きなようです。
2020.08.12
ブランドはその由来からして、複数を比較したときに明らかに区別できるようにすることです。
資本主義ではこの「区別」が大きな意味を持ちます。
区別は、商品なら差別化と呼ばれ、就職活動やSNSなら自分らしさと言い換えられますが、展開は似ています。
希少性が上がれば価値(人気)は高まるという原理により、価値があると思われたものは他に模倣され、模倣された方はさらにレアな方向に先鋭化していきます。
やがて、先鋭化も模倣もスピードが落ち、限界に近づき、同質化します。
一方、他に模倣されてなお模倣されない部分が残るものは長続きします。
その持続性は、競争優位やコアコンピタンス、擬似的な独占とも呼ばれます。
他との区別をもたらす差について、頭では理解できます。
しかし、当事者になった時にそこに気付けるかどうかはすごく難しいことだと考えています。
業界内で自分たちが他社と違いを生み出せていると思える差は、顧客目線では同じものに見えたりするからです。
顧客には同じに見えて、自分たちは違うと思うものがあるということを理解し、それらを細かく把握しなければなりません。
まずは顧客目線自体をどうやって把握するのかというのが課題になります。
顧客目線を確かめる方法として分かりやすいのは、アンケートを取ったり、グループミーティングをしたり、ビッグデータを解析したりすることです。
ただ、時間と手間と二次情報特有のバイアスがかかるため、以前にこの課題に対してずっと手軽な方法を考えたことがあります。
それは自分たちの商品のブランドロゴを他社のものにしてみたり、自分の履歴書の名前や住所、大学や会社の名称を違うものにしてみるということです。
要は見慣れたブランドを外してみて、どう感じるかです。
ありがちな感じがするか、なんかちょっといいなと思えるかがヒントになります。
小さくても、ぼんやりした灯りを見つけられればもうけもの。
暗がりでつまづきながら、そろそろと進んでいくだけですから。
2020.07.08
インターンにくる学生や中途入社する人には、最初にキャリア(職歴)ってなんだろうという話をします。
最終的にはそれぞれのキャリアについて議論できるといいかなと思っているので、まず土台となるフレームワークを出します。
大学を卒業し22歳ごろ、25〜26歳に第一次転職ブーム、30〜31歳:第二次転職ブーム、35歳:転職限界説、40歳:心の定年退職、50歳すぎ:役職退職、60歳:定年のち再雇用、65歳:年金開始など。
今から30年後を考えると、年金の受給開始が75歳になっている可能性があります。
もし定年退職が75歳だったら、22歳から働きはじめて53年間あるよねと。50年前なら55歳が定年なので33年ほど、親の世代の感覚とは大分乖離したことになっているでしょう。
加えて、キャリアに影響を与える要因として自分自身のライフイベントもあります。
結婚、出産、子育て、教育費、親の介護、自分の老後など。それは必ずあるというわけではなく、あくまで可能性の話です。
さらに少子高齢化という人口動態の変化がもたらす社会経済的な変化、グローバル化の先にある光と影。要素が多すぎて大変ですね。
と、前置きをしてから「じゃあ、あなたはどう考えてる?」と聞きます。ちょっといじわるな質問かもしれません。
しかし、その時の質問と回答に意味があるのではなく、これをきっかけに「自分の中で働いていく意味」を探すスタートになればいいんじゃないかと考えています。
もちろん自分の働く意味をじっくり考えている人もいますので、それはまた違った展開になります。
とかく将来に進むのが難しい時代です。
一人で考えてもいいですが、いろんな人とぶつかりながらキャリアを議論するのも一つの選択肢じゃないでしょうか。
2020.06.11
リモートワークになってから、がらんとして誰もいない会議室や執務室。
そろそろメンバーが出社してきそうな気配もあり、その前に部屋ごとのコンセプトを作り直すことにしました。
空き部屋が7つもありますので、やりがいがあります。
よどんだ空気を入れ替えながら、一つ一つ足し込むものを考えていきます。
ダークウォルナット床の部屋は、これまでもブラウンのテーブルと本棚、黒のミシンとトルソーがあったので、それに乗っかるように線のきれいな猫の銅版画を飾ることにしました。
新しいコンセプトは「モノづくり好きが集うカフェ」。
グリーンとブルーのタイルカーペットの部屋は、四方に背の高い植物やつる植物を並べ、真ん中の白い丸テーブルに金の王冠をかぶったカエルの置物を並べました。
コンセプトは「目に見えない価値を教えてくれる、カエルの王様(グリム童話を参照)の部屋」。などなど。
オフィス再開にあわせて、いちいち部屋のコンセプトを作り込むなんて意味がないかもしれません。
ただ部屋を開けた時の驚きや発見は、いつか自分たちが作るサービスにつながっていくんじゃないか、なんて。
大変な社会情勢だからこそ、消えてしまいそうな遊び心を大切に運んでいます。
2020.05.18
その昔、10年ほど書道とペン字を習っていたことがあって、今では筆ペンとカリグラフィのペンに持ちかえて、休みの朝につらつらと文章を書いたりします。
筆と硯を出すには気合が足りず、ただカリカリとペンで書くだけでは退屈なのでちょっとずらして、そのスタイルに落ち着きました。
日頃パソコンを使っているのになぜいまさら手で書くのですか?と言われそうなので、その理由を書いておくと「心地いいから」に尽きます。
デジタルのタイピングのようにスピーディでもなく、正確でもなく、一度きりでどんどん古びてしまうのに、文字を書いている時間は快適です。
サラサラと筆がかすれる音とともに、いろいろなことが浮かんでは消えていきます。
どこから書くと文章のおさまりがいいのか?漢字とひらがなの大きさのバランスはどうしたらいいか?このスピードだとにじむんじゃないか
この漢字は岩山のようにでっぱった方がいい、このひらがなは流れる水のように、前にこのあたりで失敗したかもしれないなとか。
書いたものを後から見てみると、やけに前のめりに詰まっていたり、軸がずれていたりして何だか恥ずかしくなります。
おそらくもっとうまく書けると思っていた自分の思い込みが打ちのめされるからでしょう。
同じ文章を書くということなのに、デジタルで文字を打ち込むことと、筆を握ることは明らかに意味が違うようです。
どちらがいいということはなく、手を替え品を替え、じっくり見てみることが大事なのかなと。
2020.04.14
生きていく上で、どのぐらい社会や自然と連動性を高めるかというのは一つの選択です。
極端にいえば、無人島にこもってすべてを賄えば社会との連動性はほとんどなく、自然との連動性が最大化されています。
つまり、他人の行動が直接自分に影響を与えるわけではありませんが(間接的に国際法における管理や大気汚染などの影響はありえます)、風や雨、植物の発育などに大きく左右されます。
またYoutubeで動画配信を行い、生計を立てている場合に、他のYoutuberと視聴者、広告主との連動性が相当高まっているといえます。
現代を生きるものにとって、連動させるものは数多く存在し、一度選べば終生通用するものでもありません。
投資信託を購入すれば、株式債権市場という世界経済に強く連動することでしょうし、日本に住めば日本政府の指針に影響を受けることでしょう。
フリーランスという職業を選択してもフリーではなく、発注される仕事の量と密接に関わっています。
スマホを1日中使えば、データを蓄積する側の影響は避けられません。
一方で連動性を意識しすぎずに、意図的に下げるという方法もあります。
自給自足と呼ばれるもので、自分たちの手に負えるものを増やそうという考えです。
経済の視点でみれば自給自足は地域経済に近しく、高い連動性はグローバリゼーションに強く現れます。
身近なことでいえば、自分たちでやれることとお金を払って他人にやってもらうことの違いです。
知らずに拡大しつづける連動性を横に置き、自分たちでできることを見直すことは悪いことではありません。
2020.03.18
コロナウイルス感染へのリスクを考慮し、一部のメンバーがリモートワーク(在宅での仕事)をしています。
リモートワークを開始して1ヶ月ほど経ったので、今一番何が求められているかヒアリングしてみると「ざわざわ感が欲しい」という予想どおりのような、予想外の意見でした。
そもそもリモートワークを開始する時に3つの軸で準備を進めてきました。
1つ目が物理的な環境の整備、2つ目が業務フローの再設計、3つ目がメンタルのケアです。
その時に1ヶ月後にどうなるかをメンバーで予想していて、それが物理的な環境の整備はほぼクリアされていて、業務フローで何か課題が残り、メンタルは落ち込みがちになるのではないかというものでした。
結果は予想の延長線上にありましたが、よりメンタル面で繊細かつ複雑に思いを巡らせないとダメだということに気が付きました。
ただ先行きが不安で落ち込んでいるというものではなく、経済状況や海外事情というマクロへの漠然とした不安に加え、自分自身が心地よく仕事をしながら成長していく上での「何か」が欠落しはじめ、求めているように感じました。
そのためか、リモートワークのメンバーは自然と自分のスタイルに工夫を加え始めています。
朝から着付けをして着物でパソコンに向かってみたり、昼ごはんに土鍋で鯛めしを作ってみたり、幼い子どもを背負いながら考えごとをしてみたりと。
ただそれでは埋まらないので漠然と「ざわざわ感、求む」という表現になっている気がします。
ざわざわ感にはいろいろな意味合いが含まれているようで、先輩の作業をちょっと見て真似したいとか、新しいプロジェクトの議論を盗み聞きしたいとか、自分個人のネタを少し披露したいとか、突発的なケーキ作りのイベントにちょっと参加したいとか
このあたりの曖昧なものに働く喜びや成長していく糧、新しいアイデアを生み出すヒントがあるみたいなので、もう少し話し合ってみようと思います。
2020.02.13
資本主義は競争、会社経営も競争、人生も競争かもしれません。
何かを目指して、誰かと切磋琢磨し、強みを出して弱みを消しこむのが競争で、もしかしたら自分自身と戦うこともあるでしょう。
競争について少し掘り下げて、戦略のあり方を書いてみたいと思います。
競争の骨格を抜き出すと「共通のルールの下で複数のプレイヤーがゴールを目指して優劣を決める」となり、資格試験が最もわかりやすい例として挙げられます。
科目や日時など試験の条件が複数プレイヤーに公平に周知され、当日のテストで獲得した点数により合格や不合格が決まります。
ルールも明確で、ゴールも明確なのが特徴です。
しかし、ここには隠れた前提条件があり、それをいじると競争に違った側面が見えてきます。
それは事前にルールを決め、ゴールの後に裁定している誰かの存在をなくすか、変更してしまう時です。
資格試験でいえば、試験内容や合否を決めている組織そのものを変更する側にまわるということです。
この場合にルールそのものを変更する人をゲームチェンジャーと呼ぶことがあります。
ルール変更そのものが競争のフィールドになるということです。
当然、ルール変更しても誰も信じなければゲームチェンジャーにはなれないため、ただルールを変えればいいというものでもありません。
大ざっぱに2つの競争をみるだけでも、それらを生き抜くやり方=戦略とは詰まるところタイミングなんだろうなと感じます。
いつ決めれられたルールの中で戦い、いつルールを変える方で戦うのか。
どんなに素晴らしいスキルを積み上げても、ルールが変わった後なら意味がなくなりますし、ルールが変わった直後なら素朴なスキルでもゼロよりは良いでしょう。
ルールが変わりそうな構造的な変化を感じ取り、先んじて記号化を仕掛けるか、記号化の後を見計ってすばやく模倣するのか。
競争から戦略まで考えを進めていくと、本当は誰と競争しているのだろうと思うことがあります。
長い時間軸でみれば、目に見える他社や他人はごくわずかな部分でしかありません。